デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

山口達也の逮捕に思う

 

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御所。きれいだね。

 

 

TOKIO山口達也がまた逮捕されて、数日、自分のことを振り返ってみたのだが、私はこの件について正解を出すことができない。

というのは、私の近しい人にも山口達也のような人がいたからだ。彼は昨年、お酒を飲みすぎて自宅の風呂で亡くなった。

それまでの経緯としては、アル中になってから離婚し、主たる仕事はなく家族が仕事を与えるも続かず、トラブルを起こし運転免許剥奪、その後は家に籠って酒を飲み続け、夜の街かなんかで借金を作り、周りからはどうしようもないやつ扱いされていたが、本当にどうしようもないやつだったのか?という問いには、私から見た彼は、そうでもなかった、という結論になる。

少なくとも私は彼を見ていて、心が抑圧されても仕方ない環境にいたと思うし、彼の周りもたいへんな苦労があったにせよ、彼が弱い立場に立ちやすい所もあったのではないかと思う。自分と重ねて見ているからそう感じるのかもしれないが。

私は亡くなるまで、彼のことは問題があるとは思いつつも、他人事として見ていた。でも、亡くなったことを聞いた時、彼との思い出を振り返ってる自分に気持ち悪さを感じてしまった。亡くなる前に、振り返る暇があるのなら何か、私にできることはなかったのかと。

でも、アル中になってしまうと、当人は孤立してしまい社会的な責任も果たせる力もなく、どうしようもない状況の方が多くて、実際存命中にできることなんてほぼなかったような気はするが。

数日考えてみて、もしまた周りの誰かがアル中ではないにせよ、こういう状況になった場合、どうしようと思ったが、なにも思いつかなかった。

強いて言うのなら、周りの人と信頼関係を作ることなんだろうなと思う。それは優しくするのではなくて、意見の違いがあってもそれが飛び交うことが当たり前の状況があれば、面倒を見るにせよ支援が続きやすいのかなと思った。でも分からん。人間関係において、自分が気取ったり、お化粧して見せるっているのかなと思う。意見を言いやすい環境があれば、私の周りにいた彼も、もっともっと早期の段階で、問題を回収できたのかなと思う。と思いながら、自身の普段の行いを思い出して反省し、恥ずかしいと感じたりする、嗚呼…。

私は一人のアル中患者しか知らないので、はっきりしたことは言えないが、アル中だった彼は酒を飲むことによってでしか、自分を解放できなかったんだろうなと思う。もっと身近な所で、みっともない自分だったり本音をさらけ出せたらすこし話は変わってたのかもしれない。

太宰の人間失格においても、主人公が飲み屋でクダをまいたり、めちゃくちゃするようなエピソードがあったと思うが(というかそんなエピソードばっかだっけ?)、あの主人公にとっても飲み屋や酒が自分のホームだったのかもしれない。主人公は親の愛を感じれなかった人物だった。私の近しい彼も、親がなかなかのひどい人だった。酒に故郷を見いだしていたのかもしれない。

かと言って、こういうアル中とか精神の病気が全て親のせいかと言われると、そうでもないと思う。親が悪い、というか、親との相性だったり、その人自身の性格もあるし。親のせいって言うのは、めちゃくちゃ乱暴な言い方をすると後付けに過ぎないのかもしれない。性格というのは生まれ持ったもので変えるのは多分に難しいので、そっちの方がなんとかできんかな?と思う今日この頃です。

よく言うじゃん?努力してない人が悪い、とか、努力したから私は成功したとか、考えてないから悪い、とか。努力のような行動しないと息止まる!みたいな私自身を振り返ると、それはもう生まれ持った性格だとしか説明できないわけです。上記のようなことを聞くと、いや、あんたは性格が現代社会にフィットするようにたまたま生まれただけやで…って私は思ったりする。かと言って、私自身、誇れるようなことは何もしてないし、太宰風に言うと恥の多い生涯を送ってきたって感じですが。なんかこの生まれ持った性格についてはまだまとまってないし、説明できないのでこのへんで。

話は戻りますが、太宰の話のように、飲み屋が私の近しい彼にとって、リラックスの一助となっていたのなら、私は少しホッとするかも。彼がリラックスした顔を最後に見たのはいつだろう。いつか道ですれ違ったら、すごく邪悪な顔をしてこちらを見つめていたから。

そして山口達也よ…アル中は別に治らんでもいいけど、孤立すんなよ…あと好き勝手書いてすまん。