デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

最近怒ってない

 

 

アンガーマネジメントという言葉を聞くようになって久しいが、アンガーマネジメントの最終到達点は「怒ってる自分、怖ぇ。」と戦慄を覚えることに尽きると思う。怒ってはいけない!とか、怒っている対象にも事情があるのだから、とかのアレやコレやで、自分を抑え込んでいるうちは治りにくいような気がするわ。

20代の頃の心理状態としては、怒るというよりとっ散らかってるという形容の方が合っていたが、30代になってからよく怒るようになってしまった。このブログにも度々書いたと思う。結婚のこと、病気のこと、お金のこと、周りの環境との違い、近年のインターネットにおける諍いなど、不安になり怒る種はいくつでもある。しょうもない部分がウェットな社会だなぁと思う。しかも年を取ればとるほど、ウェットな世界観になっていく気がする。田舎は村社会っていうけど、都会でもインターネットでも村社会してるじゃん。クソ。もっと文化的なことにウェットになってほしい。話はそれたが、自分が脅かされそうに感じると防衛反応として怒るのは、自然な反応だ。しかし、怒るというのは気持ちが良いものではなく、止まらずどんどんエスカレートしていく感情なので悩んでいた。

まず怒りがなくなった第一段階として、しばらくインターネットから離れてみたら、怒る回数が激減した。環境を変えるって大事なんだなぁ。それでも怒りやすいのは変わらなかったと思う。

第二段階として、ある日、オードリー・タンが高級ブランドを見に纏ってELLEという雑誌に載ってるのを見て、気にくわないなと思ってしまった。なんだろう…彼の経歴を読んだり調べたりしているうちに、ひがみ根性なのか負けず嫌いなのか、イケすかないなぁと感じたんだよね。でもそこでハッとしたのが、台湾の遠い国の、会ったこともない「よう分からん奴」に対して僻んで怒りそうになってる自分、怖えぇひぇぇぇぇって思っちゃったんだよね。

僻むとか負けたくないって感じるのって、結局、自分と相手を同列、もしくは同質とみなしてるってことでしょう。自分だったらこうするのにと、思うから怒るんでしょう。自分だってそうなれたのにと、どこかで思ってるから僻むんでしょう。知人なら、まだ分からなくもないが、会ったこともない人に対してそんな気持ちになってる自分ってもう怒りの末期で、自分の目にしたもの耳に入れたもの、自分と全てのことを、並列に見るって超怖い現象だなぁと思ってしまったわけです。そこから心の中に「自分≠周り」という公式を作ってから(というかオードリー・タンの件で懲りた)、私は怒らなくなった。嫌だなぁと思うことはあるけれど、嫌だなぁ〜〜で止まってる。

という経緯で、しばらく怒らず、穏やかというよりまあまあくらいの感じで暮らしていたのだが、鬱っぽくなると、それが怒りという現象で現れる人が一定数いることに気づいた。知り合いが不安定になると怒ってるのを見て気づいた。怒り方の特徴として、しつこい。何回も手を変え品を変え、同じ内容の怒りを訴える。言葉もひどい。大体、文体にパターンがある。鬱というと、やる気がないだとか、無気力になり何もできなくなるとかのイメージがあると思うが、確かに私は、しんどい時に、無気力になったことが一度もない。フィジカル面ではだるい、とか、眠れない眠りすぎるということはあるが。メンタル面ではずっと怒ってたいたような気がする。怒りたいというよりは、できることが狭まり、代償行為としていらんところに手を出す、エネルギーが有り余っているという感じで、怒りに集約されるのだろうな。そう、怒りっぽい人はバイタリティがあるのである。怒りがギャンブル、買い物、依存症として現れる人も少なくなかろう。多分、元気になったら前向きな形でそれが現れるから心配しなくていいよ。長期化するのはよくないが、怒りたい時に怒っておくほうがいいのかもしれない。

身の回りに怒りはたくさんある。怒ったり僻んだりする人は、要は「悩んでいる」んだと思う。怒りが長期化し、疲れ果てると、周りが見えなくなり、ある特定の思想に傾倒していく人がいるのをなんとなく見ていて思う。(○翼とかス○リチュアルなど)。かと言って、怒ってる人の言っていること、幻覚が聞こえる人、おかしなことを言ってる人の話す言葉が、妄言でもないとも思うわけです。きっと、その人の考えていること見たもの感じたものの、ひっかかりが言葉になっているので、障がい者だ、とか気狂いだ、とかで済ますのも甚だ失礼な話。要は、人付き合いにおいて「優しくする」とか「怒らせない」より「悩ませない」の方が大事なのではないのかと思う今日この頃です。優しくするって疲れるじゃん。こっちもエネルギー使うじゃん。「怒らせない」も、相手の顔色をゴリゴリ伺ってるような感じがして、違う気がするし。でも「悩ませない」ってマナーなのかなと。まぁ難しいけどね。

今日、彼氏が「自分みたいなやつがいたら、とてもイライラすると思う。シャキシャキ動けって言うと思う。」と話しており、自覚しているのなら「許す」って思った。まぁ〜〜普段、イライラしますよ。意識が、半分寝てるんだろうなと思うんで。よく考えてみると、私も生き写しの父を見ると、しょっちゅうイラっとするので、私も彼氏をイライラさせているんだろうし、人一人存在しているだけで誰かを怒らせたり気にくわないと思うのは当然のことかもしれませんね。非難叱咤なんてよくある日常だし、一生起こり続けますよね。大体、怒りって綺麗にはキャッチボールにならないんだよ。怒ったことは、怒った対象には向けれなくて、大体違う方向へ投げられる。浮気男に怒るより、浮気相手の女性によく怒るじゃん。職場のいびりも家庭でのストレスだったりすることあるじゃん。ヤフコメも然り。だから真にうけず、怒り怒られ、非難され非難し、抑制するのに格闘していきたいものです。とにかく怒りでしんどくなったら、「自分と他は違う」って思うようにします!!!あと近年のお笑いには、厳しい批判もありますが、お笑い界は「許す」という前提で、芸があるから私は好き。関西弁は好きじゃないけれど。