デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

あのときと、それから

 

 

 

 

突然だが、私の母は大学の同級生であった父と恋に落ち、卒業してからほどなく結婚した。右も左も分からない世間知らずだったから、結婚式も住む家も流されるように、つまり義母(私の祖母)にされるがままの結婚だったと母はいう。父と母は研修医をしながら大学院に通っていた。そんな中、妊娠した。私の誕生だ。指導教官にはほんの少し、嫌味を言われたそうだ。

 


私が生まれた後、母は産後2ヶ月で職場復帰した。今の事情は分からないが、母の働く世界ではそれが当たり前だったと言う。当然、私は母と日中、はなればなれになった。

私を預かってくれたのは、祖母ではない。近所に住んでいた祖母の妹である。よし子のおばちゃんと呼んでいる。小さい時のことなので細かいことは覚えていないが、おばちゃんとの思い出の輪郭はやわらかく、あたたかい。おばちゃんは口は悪い方だけれど、よく笑い大きな声で豪快に話すにぎやかな人だった。家は、いつも整理整頓されていて、カレンダーの廃紙を本のカバーにアレンジしちゃうような人だった。確かにおばちゃんの家は裕福とは言えなかったが、ケチなのではない。リサイクルするのではない、アレンジするのである。おばちゃんの家はおばちゃんのアイデアが散りばめられていた。だから、幼心にほっとさせるものがあった。そして、その時代に生きた人には珍しく、常識や世間の流れに子どもを合わせるのではなく、子どもの内側を見つめるひとだったように思う。おばちゃんの家族に囲まれ、にぎやかな日々を送っていた。

そんな生活が続いていくものだと思っていたけれど、ある日おばちゃん一家は姿を消してしまった。いつものごとく、インターホンを鳴らしても出ない。おばちゃん、おばちゃんと呼びかけても返事がない。お別れの言葉も交わすこともなく、引き離されるような形で、さよならの日が突然来た。生まれて始めて、稲妻が走るようなショックを受けた。稲妻が走った後、夕立のように私は泣いた。おばちゃんは、祖母が管理していたマンションに住んでいたので、きっと大人の事情により去らざるを得なかったのだろう。2歳だった。

 


幼稚園に通い始めると、伯父が結婚した。伯父は過去に駆け落ちするほど好きな人がいたようだが、それもまた引き離されたのち、見合い結婚をし伴侶を得た。おうちに知らないおんなの人が来た。名はちえちゃんという。ちえちゃんについて、説明しておこう。ちえちゃんは、短大を卒業してから家事手伝いという名目のもと、実家で花嫁になるのを待って、うちの家に嫁いできた。クラシックスタイルを体現したような人だった。

それからは、ちえちゃんがほとんど面倒を見てくれた。幼稚園や習い事のお迎え、外で遊ぶときもずっと一緒にいてくれた。一日中、義母の仕事を手伝い、当たり散らされ、他人の子の面倒を見、感謝もない。ちえちゃんはなかなか子どもができなかった。そんな日々を送っているうちに私には弟ができた。

 


母は、無事、大学院で博士号を取り終え、病院にて勤務していた。それでも忙しさは変わらなかった。母が自転車で迎えに来てくれた時、習い事に顔を出してくれた時のことはよく覚えている。なぜなら、我々2人にとって、世にありふれた母娘体験というものはネッシーを発見するくらい、珍しいものだったからだ。その頃の母は、毎日病院から帰る電車で心が落ち着かず、気分の良いものではなかったらしい。一刻も早く仕事を終えて帰らねば、と心がギュッとぞうきん絞りみたいにされるような感じ。罪悪感からか、焦燥感からか。それは分からないけれど。そして母はよく怒っていた。私は地頭も根気もあまりない子どもだったので、母の思う通りにならず、理解しあうこともなく、そのすれ違いで母は余計怒るようになった。母の思う枠内で動く弟は、自然と家族と調和した。私は母のかんがえる子どもではなかった。

 


思春期にありがちな、どうにもこうにも居場所がない、母と父の思う子にはなりたいと思いつつも努力の仕方がわからない、というような薄暗いトンネルを潜っているなかで、ある1人の女の子に出会った。その子は中学校の同級生で、小学校は一緒じゃなかった。みんなに慕われていて勉強がよく出来、いわゆるガリ勉って感じ、じゃない。その子は勉強ができるけど、点取り合戦をやっているように見えなかった。どこか、自分が一歩一歩進んでいくことを楽しんでいるように見えた。そんな人を始めて見て、ビックリした。よく文化人がインタビューとかで、同級生からカルチャーの影響を受けたっていうけど、そういうなら、あれは私の体内にニューカルチャーが入っていく瞬間だった。そのとき抱えていた陰鬱なものが自分の体からすぅっと抜けていったような気がする。その子とは勉強のことも他のこともたくさん話した。中学の最期の半年くらいしか一緒にいなかったけれど、楽しかった。卒業したら、なんだか私、がんばれそうな気がする。私の努力の素地はこの時にできた。

 


努力の素地はできたものの、エンジンが熱くなりすぎちゃって、車輪が空回りしちゃって、ある日私は電車のレールから大きく脱線してしまった。このことは、何回も書いたので今日は書かない。この頃は、家族の輪の中からも脱線しかけていた。母親に、「もうあなたのことは理解出来ないから、離れて暮らしなさい」と半ば追い出されるような形で、一人暮らしをしたこともあったし、家族とそもそも顔を合わせるのを避けていた。母は、最初は豊富な、その筋の優秀な医療機関を娘に与えることで解決するのではないか、と思っていたのかもしれない。が、そもそもが病院にも行きたがらない。家にずっといる。体は痩せたり太ったり、風船のように変わっていく。母親はもう、この時、ほんとうの私と向き合わざるを得なくなったのだ。ここから母と二人三脚の日々が始まった。

当時、私は未曾有の竜巻きに飲み込まれたような感じで、周りの景色も見えなかった。私は、竜巻きに吹き飛ばされないように必死で母にしがみついていた。母は、私に怒りや悲しみを当たり散らされる。それもいつ、起こるか分からない。小さな子のようにショッピングモールの真ん中で泣き叫ぶようなこともあった。駄々をこねるようになった。母娘2人、吹き飛ばされないように必死だった。竜巻きが怖くて怖くて、いつ何が起こるか分からなくて、不安だったから「仕事をやめて一緒にいて」と母に懇願した。母は、午後の仕事を辞めた。毎日、母と一緒にいた。色んなところに行った。あらゆる場所に迎えに来てくれた。バイト先まで迎えに来てくれた時期もあった。何かあると、ボタンを押したら来てくれるレスキュー隊のような存在だった。当然、母は疲弊した。でもとにかく娘が倒れないよう、吹き飛ばされないよう、どんなことがあっても立っていた。

 


そんな中、I先生に会った。I先生は、主に子どもの体と精神との関係に研究して来られた第一人者のような先生で、長年お世話になった。どんな時も、私の味方になってくれた。メリットとデメリットの両方をしっかり話してくれる大人だった。

いよいよ、私の状況がどうにもならなくなって、切迫した日々が続いていた時に、入院の話が出た。先生は私の家に来た。そして私の枕元で、話して安心させて帰って行った。

そんな生活を送っていたので、自然と疎遠になった人もいたし、意図して離れていく人もいた。でも中学生の時に仲良くなったあの子は、連絡を取ってくれたし、会ってもくれた。その子と話している時は、自分の心の素直な部分を話せる気がしたし、等身大の自分を恐れず気負わず話せる気がした。人付き合いらしいものが、何一つ出来ず脅えて暮らしている中、その子といる時はなんとなくそれらしいことができた気がした。その子もその子で、努力の車輪が加速し過ぎて、うまく行かないことがあり、同じようなニュアンスで悩んでいたのかもしれない。でも今からおもえば、その子が私が居やすいように空気を作っていてくれたような気もしている。

 


それから数年経って、私は昨日、32歳になった。よし子のおばちゃんは80歳になって、体が良くないことが増えた。だから最近は手紙を出してもおっくうなのか、返事が来ない。ちえちゃんはあの後、離婚した。実家に戻って子育てしている。その子どもも、もうすぐ成人する。そして私が、ちえちゃんの住んでた家に、今、住んでいる。

I先生は癌が見つかり、しばらく静養された。もう診察自体はされていないが、子どもを守る活動自体は少しされていると噂では聞く。

母と20代をずっと過ごしている間に、母との関係はとても良くなった。自分が歳をとり、母が私を産んだ年齢も越すと、あの時の母の状況や苦労が容易に想像できる。今でも家族に対して複雑で整理できない感情があるのは否めないが、一つ一つを乗り越えて2人で紡いで来た絆はかけがえのないものである。今では、母親が自分の娘のように見え、何かあったならば母を撫でて磨き宝石のように、毎日大切にしている。こんなに大切で尊いと思える気持ちや絆があって、自分はそれを下の世代にそれを繋がなかったという事実に、たまに落ちこむこともあるが、私と娘がそれを再現できるとは限らないしな、と思い直し我に帰るようにしている。

そして中学の時のあの子は、最近子どもを産んだ。あるあるだけど、自分が経験していないから、何を話して何を励ましていいのか分からず、ワタワタする時がある。思えば、20代の時、あの子は、私に対して何を言えばいいのか分からず悩んだこともあっただろうなと最近考える。真面目なあの子のことだから、きっと戸惑いながら繋ぎとめてくれた瞬間があったのだろうと思う。

 


32歳になっても未だ、人との距離感が分からない。でも、自分の子のように育てたよし子のおばちゃん、複雑な想いで接してくれたちえちゃん、医師と患者の一線を飛び越えて家に来てくれたI先生、さりげなく見守ってくれた中学の時のあの子、あまり幼少期を一緒に過ごせなかった母、その後の母親との繋がり、どの距離感も全て、簡単に正解とか間違いとかを言い切れるものでないと思う。一見間違った距離感でも、どこか思いもよらない所で、補い、挽回できる場面に、生きていると遭遇するのかも、しれない。

 


誕生日は、電車の窓から綺麗な夕焼けを見ました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

色んな立場の女性を登場させることに尽力しましたが、一見したところの、その人の置かれている立場で女性を決めつけてはいけないように、最近、思います。経験したことない、よりも、相手の立場を想像し、その世界を覗いてみたことがあるという体験のほうが社交において重要な気がします。30代になって、意外とカテゴリー分けをして、共感性の世界で生きたがる女性も案外いるのだなということにビックリしました。そんなの最後は傷付け合いになるだけじゃないか。平等に扱われたい、はそこからじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうすればいいですか

 

 

私はよく怒るので怒らないためにはどうすればいいかなと、ここ最近少し考えてみましたが、怒りの矛先が「人への攻撃」に向かないだけまだマシかなという結論に至りました。怒らないのが一番いいんですけども。

 


大体人を怒らせてるような内容は大体みんなも同じように不快になるので、自分の怒りを第三者に訴えるとき、「自分を怒らせてる人のレベルまで下げない」ということが大事なんだと思います。怒らせてる人のレベルまで自分が下っていってしまうと大体周りの人も結果的に不快させることになるので。それが怒るときに気をつけるポイントなんだと思います。

 


なぜ自分は怒りやすいのか。それはストレスと周囲への恐怖心、被害妄想から来ると思うのです。周りが怖い人というのは結局自分に自信がないので、怒ることで自分を守るという戦法を使いがちになる気がします。今日はなぜ自分が怒るのか、その理由をメモしておきたいと思います。

 


怒るというのは、相手への誤解から生まれることもたくさんあるのでこのメモ自体、不快にさせると思うので、読み進められる方はそこは鵜呑みにせず私へ半信半疑の思いを持って読み進めてほしい。

 


(1)常時持っているストレス

一つのガスコンロがあったとする。ガスコンロはネジを開けると強火になり閉めると弱火になる。人はガスコンロを調節することが出来る。火が強すぎると弱火にする、火事になる前に火を止める。それを無意識的に調節していると思う。が、私にはガスコンロのネジが付いておらず、気を抜いてしまうとすぐに強火になりやがて火事になり、ガスは使い果たされ再起不能に近くなる。コンロを修理しガスを注入するのに時間がかかる。修理される度にコンロ自体も老朽化していく。ということが頻繁に起こるので、このガスコンロを常に弱火に保つため、自分というガスコンロを常に監視しとく必要がある(=やる気を出さない、テンションを上げない)。基本的に私はやる気があるタイプだし、やりたくないことにやる気を出すなと言われたらそりゃ願ってもないと喜ぶ人もいるかもしれないが、楽しいこと・やりたい事にもやる気を出すなと言われたら困るのではないでしょうか。とにかく自分の行動の一つ一つに「やる気が出過ぎていないか」ともう一人の自分が24時間体制で鞭を持って見回りしているので、ストレスは溜まる。が、それをしないとすぐガスコンロは強火になり、火事を起こすので自分の監視体制を外すという選択肢もなく、自分のやってることが正解なのかやりすぎてないかと常に自分に対して半信半疑の気持ちを抱いているので、そりゃ自分を認めてないことに等しい。ゆえに自然とストレスは溜まる。気が狂いそうになる。

 


(2)対人関係のストレス

何が普通かなんて基準はないし、私自身が見た普通なので、話半分に聞いてほしいが、「普通」を装うのにやはり必要以上に力を使っている感覚はある。普通の生活なんてないのかもしれないけど、立って生活をすることがしんどい時がある。フラフラしたり電池が切れたように眠り続けたり吐いたりするのが日常茶飯事ではある。

自分的には不便な生活をしているとは思うが、私は「自分だけが辛く、自分さえ良ければいい」という方向にはいかなかった。そういう人もいるし、それはそれである種の防衛反応だと思うのでそれも否定はしない。しかし「自分が出来ないことが多い」「生活が不便に感じることが多い」ということを踏まえて、「(他)人も辛い思いをすることがあり、自分とは違うかもしれないけど出来ないことに悩むことがある」という風に考えるようにはなった。なので、自分の気を抜いて話したことが、他人のしんどさの核を突いてしまって傷つけてしまったらどうしようと、妙に気を遣いすぎることがある。(後述する(4)のようなことがあったので。)人と話すのに気を遣い過ぎて頭が爆発しそうになるときがある。そしてたまにその気の使い方が間違ってキツイ言い方をされたり、気遣いを無下にされるような行動を取られると、ひどく落ち込んでそれが怒りに変わることがある。が、人を傷つけてしまったり自分が傷つかないこともどんなに細心の注意を払ったとしても絶対になくならないことは分かっているので、仕方がないが、どうもピュアな私はその事実にも気を病んでしまうことがある。

 


(3)とにかく自分に自信がない

ここには何回も書いているが高校卒業してから、大学もやめてしまったし、バイトも続いたこともないし、無論就職もしたことがない。結婚もやめてしまった。自分に人生の変数を増やすと、ガスコンロの調節が複雑になるのでなるべく変数を増やさないようにしようと、ある時から決めた。しかしなんにも完遂してこなかった自分に自信がなく、完遂できなかったことも自分の中では納得した理由はあるにはあるので自分に自信を持てばいいものの、とにかく人との世間話で出てくる学歴・仕事・結婚・出産の話で最近は非常に落ち込みおっくうになることが多い。相手はそんなつもりは一切ないのに、できなかった自分を思い出してみじめになる。例えば受験の話になると大学に落ちた自分を思い出すし、正直、大学受験からやり直して自分の名誉を挽回すればいいのか、とさえ思うほどである。世間話においても、「仕事をしているのが普通」「長年付き合った恋人と結婚するのが普通」という常識が根底に流れており、その普通に合わせて話するのが辛い。どこか出かけても「今日はお仕事お休みですか?」と挨拶のように尋ねられることが多々あり、「えへへ、まぁそんなものです」とは流している。流すしかない。しかし世間に対して嘘の笑いでごまかす自分が、自分自身をも嘘の笑いで流し、無下にしているような気分になり、虚しくなる。世間の一般的な感覚を恨んでるのではなく、それを出来なかった自分を結局は恨んでいるのであり、周りは何も悪くない。何も完遂出来ていない自分を一番嫌っているのは、結局は自分なのである。

自分を認めてあげるのには、自己肯定感を高める作業が必要になってくるのであろうが、学歴も仕事も社会的な役割がなに一つない状態から自己肯定感を育むのは結構、難しい。

ということで何か自信を取り戻す必要性を感じているため、自分なりにもこれからの人生をどうしていこうかは真剣に考えてはいるものの、このガスコンロを調節している間に体調を崩すことが多く、なかなか人生を進めていくことが頓挫になってしまい、さらに凹むという次第である。ゆえに「何もしてない人」と思われるのが怖く、人付き合いにおいて抑圧した自分を感じるのは否定できない。

 


(4)実際にひどい人がいたり偏見があった

体調が悪くて予定をキャンセルしたら「あなたは私の時間を無駄にしている」と長文のメールを送ってくる人がいたり、とあるシングルマザーから「あなたは親の脛をかじって生活をかけて働く必要がなく楽をしている」とこれまた長文のメールが来たり、障がい者手帳を申請するかもしれないと言ったら「交通費とか援助してもらえるからラッキーだね」とか言ってくる人が実際にいた。自分自身が体の苦痛と戦っているのに、こんな暴言を吐かれるこちらの身になってくれよ。まあ世の中にはひどいことを言ってるつもりがなくても、人の心に深く傷を残す人がおり、思い出すたびに私の怒りを掻き立てるのも事実である。

 


長く書いたけど、とにかく今現在、(1)で述べたガスコンロの調節が大分とキツく、私の心を退廃的というか狂気的な気分にしている。それゆえストレスが溜まると、火に油をそそぐように、怒りが燃えたぎるという形になる。正直コンロを調節してもしても、光の見えない生活に疲れてしまった。でもこの調節も板についてくると、きっと平常心でいれる時間が長くなってくると思うので、今まで完遂できなくて悩んでたことも一つ一つ完遂できるようになるだろうし、まあ、疲れるけれど、生きている限りは諦めないでやり続けようとは思う次第ではある。

もう全てが手遅れのような気もするが。


心穏やかに暮らしたい。

 

 

 

 

 

 

青春が終わった瞬間


今から書くことはきっと若さゆえのことだと思われるかもしれないが、自分の中で大切なことなので書いておく。

昨年の夏に自分の性質に対して行き詰まりを感じてから、この一年自分を失くすトレーニングをたくさんやってきた。一年間トレーニングすると決めたわけではない。やっているうちにあっという間に8月になってしまった。その結果、おだやかな日々が次第に訪れ、きっとみんなの言う「安定した生活」「健やかな暮らし」が出来ていると思う。私を支えてきてくれた周囲の近しい人達は負担を背負うこともなくなったし、きっと私に振り回されていることによって生じていた緊迫した時間もかなり減ったように思う。周りにも安寧の日々が訪れたのだ。一つのことに対して俯瞰してものごとをみれるようになったと思う。体調も安定してきた。友だちも増えた。臆することなく世間話もするようになった。丸くなった。要は何事も腹八分を覚え、行き過ぎたことにはブレーキをかけ、オブラートに包むということを知った。

そんな状態が寂しい。自分がなくなった気分。それもそうだろう。ティーンの頃からずっと一緒にいた「自分」なのだから。寂しい。過去の自分を私は裏切ったのか。近頃そんなことを思っては、心の中で一筋の涙を流す。なんだか卒業式を終えた中学生みたい。
そんな風にひどく感傷的になってしまうのは、私が一生懸命だったからだ。あの時、おかしいと言われた。「病んでる」と言われるたびに「世間が病んでる」と言い返した。世間の言う常識とやらをそのまま鵜呑みにして、えらそうに大人のふりをしているみんながおかしいと思った。自分の気持ちを素直に表して生きるのってこんなに難しいんだって腹が立った。本当にいろんなことがあったし、いろんなことを考えたから全部は書けないけれど、あの頃の私がかけぬけた悩みは、これからを生きていく上でしっかりと考えなきゃいけないトピックだったと思う。不必要にウジウジしてたんじゃなかった。むしろあの時の自分は「なんにも間違ってなかった」。

なにが言いたいかっていうと、過去の自分が嫌だったからとか社会に適合できてないからと、自分を憎んで自分を変えたということではないってこと。ぶつかって削って磨いてを繰り返して結果、なりゆきで今の新しい自分ができあがっただけである。あの頃が辛かったとも思わない。一生懸命過ぎて、辛いとも思う隙もなかった。純粋で健気で尊かった。あの時の自分を、これからも大切に想ってあげたい。あの頃の自分が消えたんじゃない。あの頃の自分が新しい自分を作ってくれた。

社会にフィットしていることが正しいのか。精神科医が推奨する心のあり方が正解なのか。人が集まるから良い人なのか。それだけなんて、つまらないじゃないか。

でも、もう元には戻らないと思う。戻れないと思う。きっと私は本当にひとつ、年を取ってしまったのだろう。一つの成熟をとげた。確実に私の青春は終わった。かけぬけた青春は一瞬だった。そんなことで悲しむなんて若いねと人生の先輩に言われそうだが、悲しいものは悲しいんです。
星野源の「アイデア」という新曲は、陽の自分と陰の自分を掛け合わせてできたものであり、どちらの自分も自分であると星野はインタビューで語っている。彼は、どちらかの一方だけに偏らない。肯定も否定もしない。両者の気配を感じ、新しいものを作り出す。新しい自分に不慣れでくすぐったい自分がいるのは事実ではあるが、私も「過去の自分」と「今の自分」両方を包みそれを越えて、見たことのない未来を奏でていきたい。

 

人間は歩く金なのか

 

「うつで休職中の人が、友だちと遊んでるのを非難してくる奴の意味がわからないな。うつ中に遊ぶこと、私はメリットしか思いつかない。」という数年前の文がツイッターの下書きに未だにある。

仕事を休んでもうすぐ2年になる。というか私は総じて仕事を1年続けたことがない。もちろん就職もしたことがない。半年ほど働いては、半年休むということを繰り返しているのでフリーターの風上にも置けない。そんな感じの生活をして来たので、どうも悠々自適な暮らしをしていると思われるらしく「働かんでいいなぁ」「私もニートになりたい」という言葉をそれはもう数えきれないくらい頂いてきた。その度に罪悪感を感じる自分がいた。

何をおっしゃいますやら。無職で不安を感じない人間っているんか。不安に決まってるんですけれど。悩むに決まってる。むしろ無職の時期に将来を心配するのは地獄といっても良い。このような言葉をかけてくる人は全く責任感なく言ってくるので、相手にしなくていいですよ。その人に生活費を払ってもらっているわけでもないし面倒を見てもらっているわけじゃないのだから。労働するにしても労働しないにしても、決めるのは自分だし、どちらを選択しても返ってくる結果やリスクは直接自分に戻ってくるのだから。事情も知らず軽口を叩く人の意見は無視が鉄則です。

今回、休んでいる期間にこれからのことを考えてはみた。とりあえず自分の目標として長く続けられるものがいいというのが切実な願いであり、そのためには無理なくできるものがいい。無理なくできるものと言ったらやはり頂くお給金も少なくなる(ものが多い)し、「お金 」と「無理なくできるもの」のバランスを考えながらいくつか候補は挙げてはみた。あと新しいジャンルのことにはあまり手を出さないでおこうという制限もかけてみた。それは手を出し尽くした感があった。
いくつかの候補のなかに、「いままでやって来た一番好きなこと」を続けるという選択肢も一応はあった。でもいままでやって来た一番好きなことは、これから先細り感しかなく業界でも苦戦の声が聞こえてくる。ニーズもあまりない。飽和し過ぎてしまった業界であることは間違いない。そして輪をかけて才能もない。才能や技術がないのが手伝って、余計金にならない。金にならないと思うと、生活していけない、生活していけないとなると価値がないと思い、選択肢から外そうとも思ったし何よりやる気になれない自分がいた。そう、私は根性がない。

いままでやって来て一番好きなことに価値がない、と思い始めると、気持ちに張り合いがなくなる。いままでやって来た大事なものをゴミに変換すると気持ちもクズになる。「もうお金にならないし一番好きなことをやるって難しいよね〜」なんて周りに漏らしていた。
と、自分がジトジトしていた頃、テレビでセブンルールという番組を偶然見ていたらタスカジという会社の人が特集されていた。タスカジというのは、家事代行マッチングサービスのことである。言わば家政婦さんの働く職場で、家事代行業者を介する必要がなく家政婦さんに出会えるという。掃除、料理、チャイルドケアなどジャンルごとに得意な人が所属していて、働くのに登録するのも簡単、依頼するのも気軽に探せるらしい。家政婦とは書いたが男性も登録もできる。番組で放送されていた働く家政婦さんたちは生き生きとしていたし、みんなが意見を出しあって大事なことを決める、一人一人の働き手が重んじられている様子だった。そしてマネージャーの鈴木さんは主婦稼業をやりながら働くことの大変さをとても理解していて、「なにげなくやっている主婦業でも、よく見るとすごいスキルを持っているんだから後ろに引っ込まないで自信をもっと持って欲しい」という言葉が印象的だった。
まず家政婦さんを頼めるなんてどこのセレブがやるんだよ、ざあますマダムが頼むものでしょというイメージだったのであんまり大きな市場ではないと思っていた。びっくりしたし、自分が毎日当たり前のようにやっている日常のことがお金という価値に変換されているのを目の当たりにして、自分の心のサビが取れたような気がした。

「ものは考えようやな」と思った。まず自分がやって来た一番好きなことは、価値のないことなのだろうか?自分が日常的に当たり前と思ってやって来たことがお金にならない、イコール、価値がないと思うのは、それは果たして本当だろうか。真理なのだろうか。自分が生きてきて身につけてきたことは価値のないことなのだろうか。そんなふうに思い直すようになった。もしかしたら自分の中に宝が眠っているかもしれない。もし自分だけが大切にしていてみんなが軽視しているものを続けたとする。いつかお金に変換されたらカードがひっくり返ったように、みんな手のひらを返して私を評価するだろう。その大切なものも評価されるだろう。お金に変換されるのが、みんなが一番分かりやすいからただの評価基準としてただ重きを置かれるのであって、絶対的な基準ではない。お金に変わるのは後づけであって自分の大切なものは、純粋に大切なものである。それを完全に忘れていた。自分の悩んでいる働き方も、やりやすい方法を見つけて出力していけば、みんながアクセスしやすい方法になる可能性も高いし、自分がやって来た一番好きなことを一回腰を据えてやってみようか、という気持ちになったのである。

ということで、自分がやって来た一番好きなことが、趣味で終わろうと仕事になろうと変わらず大切にしようと私は思った。自分の大切なものは、大切なものなんだから。
自分の信じるものを周りに決めさせてはいけないし、相対的な評価で決め始めるとあっけなくそれは崩れやすく脆いものになってしまう。自分の信じるものは、時間をかけて大切に磨いていけばいい。ということで最近、少しずつがんばっています。

そして考える時間の余裕が与えられていることは感謝しても感謝しきれないです。助けてくれる周りに頭が上がらない毎日です。この部分は「恵まれている」とボッコボコに叩かれても言い返す言葉もない。

 

最初にうつ中に遊ぶことにメリットしか見出せない、と書きましたがマジでメリットしか思いつきません。外に出かけて人と待ち合わせて話すことが、時間が不規則な生活をしがちな患者の社会復帰への一歩になるというのが非難する人には分からないんでしょうね。あとうつの人って夏休みのようなバカンスを取って、好き放題遊んでる自由な人ではないですからね。実際は、体もしんどいし不自由なことも多いし制限だらけの生活ですから。そこをはき違えてわけのわからん軽口を叩かないであげてほしいです。

 

 

 

体型に絶対的な美的基準はない

 


肌見せの季節ですね!

 


この前、フィルムカメラを現像したらキャミソールを着た白いブタが写っていたので痩せようと思いました。

 

摂食障害の時に、外来やカウンセリングで「痩せる」を「引き締まる」、「太る」を「ふくよか」という言葉に置き換えられるのが嫌でたまらなかった。「バランス良く食べましょう」という栄養士の言葉に身の毛がよだった。私にとっては「痩せる」は「最高」で、「太る」は「デブ」であった。キレイゴトを言ってんじゃねぇよ、もっとダイレクトに話してよとイライラした。あの頃、嫌でたまらなかった気持ち、抵抗したかった気持ち。診てくれた先生方にやっぱり10年経ってもたまに思い出しては反抗したくなる。

 

今、痩せたいという気持ちを否定されたような気分になって嫌な気持ちになってる子に援護射撃を、まずは打つとする。

 

太りすぎると着る服がなくて困る。

この国の洋服、サイズが本当に限定されている。痩せてる時は大抵の服はかわいく着こなせる。いくらでもある。そりゃ、痩せてる方がカッコイイと我々が思うのは仕方ない。当然のなりゆきである。

 

f:id:xxs_yuki:20180718210501j:image

f:id:xxs_yuki:20180718210505j:image


日本は太っている人のためのセクシーな服・かっこいいモードな服がまず、ない。私が見た限り、数が少ない。百貨店の大きなサイズコーナーも参観日みたいな服ばかりだし、「ふくよかな人のためのかわいい服」と言えばハリセンボンの春菜さんや森三中の村上さんがよく着ているポップな服に偏っている気がする。まず、太っている女芸人はいても、太っている綺麗めな清く正しい女優はテレビに出てこない。

パキッとしたブルー、赤など明るい色。チェックや水玉のような子供っぽい柄。ワンポイントでブローチやリボンをつけるのがお決まりと言ったところ。テレビ映えはするんでしょうけど、なんせチルディッシュで、美しいというより可愛いに限定されているような気がする。

でも自分自身、太ってみてサイズ大きめの服を試してみると確かに明るいカラーの方が、膨らんだ顔や体はパキッと締まって見えるので、ある程度の理には叶っているっちゃあ叶っているのだけれど。

例えばだけど、ネイビーのデコルテが綺麗に見える、スカート部分はふわっとしたふくらはぎの一番太いところまで隠れるようなラップワンピースとか、どうだろう。太っている時、あったらいいな、と思った。フォクシーやセオリーをもうちょっと崩したようなシャープでモードな空気感がある洋服。そんな服私が太っている時はない。なかった。ただZOZOがPBを始めたのである程度は改善されるとは思う。

 

自分は服を作っているが、パターンを引いてるとふくよかな体型になるほど曲線がゆるやかになっていくのでシャープなシルエットを出しづらいというのも現実として、ある。あと清潔感が手に入れにくい。確かに細いほうがスッキリは見える。既存のブランドが提示するモデルの子も細い。もう何十年も前から。

 

以上のことを踏まえても、ふくよかな体型でオシャレする方がどう考えてもハードルが高い。テクがいると思う。手の込んだことを沢山しないといけないように思う。どう考えても太ってるのに素敵な服を着こなしている人の方がオシャレ上級者だと思う。それくらい難しいことだと思う。痩せてるほうがいいか、太っているほうがいいかの二択だったら後者がすんなり淘汰されても仕方ないとも思う。この世界では、痩せてるほうが色々と手っ取り早い。世の中の女性が「痩せたい」と切望するのはごく自然なことなのだ。

 

この世界のスタンダードが「細い」に限定されてるから。そうでなくてもあなたの生まれもった美的感覚が「細い」ならそれは変えようがない。変え難い。それは否定されるべきではない。

 

 

f:id:xxs_yuki:20180718210403j:image

 

でもふくよか・太ってるのはなんも悪くない。体型に善悪はない。体型に道徳的基準の善悪はないのだ。上の写真を見てほしい。こういう世界観も一応は、ある。これはlonelyというニュージーランドの下着ブランドのヴィジュアルである。「ふくよか」「太っている」に対する認識がお外の国では全然違うな、と思う。この国でははふくよか=暑苦しい、悪い。まずこのような体型の女性がモデルになったり肌見せするような写真はこの国では撮らない。この写真の女性はセクシーでさわやかで美しい。紹介はしておこう。

 

もう一度言うけれど体型に善悪はない。太ってその変化を、みんなに興味本位で指摘されたり冷やかされるのはそれこそ道徳的に悪、だと思う。人間はその時々の環境、ホルモンバランスによっていくらでも体型は変化する。特に女性は。だからあんまり前後する体重をその時その時でスポットスポットで、否定しすぎないで欲しい。落ち込みすぎないでほしい。いくらでも健康を害さない限り、痩せてもいいし太っても構わない。それを人にとやかく言われる必要はないし、増してや良し悪しを決められるべきではない。というか、第三者が体型の変化に軽口を叩くな。自分が一番体の変化についてセンシティブなのだから。自分が一番分かってる。痩せているのが美しい、太っているのが美しいという価値観は限定的なものではない。フレキシブルなものである。

 

でもただ一つ、こと体型においては急激な変化でなく、ゆるやかな変化を描いてほしいと思う。変化するのは何も悪くない。また、多様性が謳われるこの時代に、「痩せ」は良くて「太ってる」は悪という考えは時代錯誤も甚だしいとは思いはする。自分の美的感覚を人に押し付けないように。

 

ピンクがかわいいと思う人もいれば、苦手だと思う人もいる。犬がかわいいと思う人もいれば、嫌いな人もいる。それと同じくらい人それぞれの価値観だよ、美的感覚って。自分の中では絶対でも、外の世界に出ると意味をなさないようなものです。本当に。

 

 

※暑さで脳が研ぎ澄んでないせいか、ブログのテーマである持病について書こうという気になれない。というか、持病のことになると思いや事象がいくつも連鎖してどこを切り取って書けばいいか分からず最近挫折してしまう。自分の書きたいことを書くのが、今 ハードル高い。今日の話題にしても、もう少しちゃんと書きたかったけれど、なんかまだ時期尚早だと思い、軽めにしました。ふくよかや太っているということを肯定する文言や文章を見るだけで辛くなる人もいるのも分かっています。不快になったらごめんなさい。終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねこ観察日記

 

 

猫を飼っています。バスト100ウエスト100ヒップ100cmの大きな猫を。

猫を飼うのは初めてのことなのでおどろきの連続、というかイライラの連続が毎日たくさんあります。犬は実家で何回か飼ってきたんですけどね。
犬はうれしい時しっぽをこれでもかと振り回して飛び上がるし、悲しい時はしっぽが垂れ下がってる。かわいい。とてもかわいい。でも猫はいつ目を向けても表情変えず乾いた声でニャーゴとしか言わない。こちらが構っても「別に?」って感じで意に介さない。たいがい丸まって床でじーっとしてる。ごろーーん、のびーーっ。うちの猫はとにかく積極性がない。まるまる太ったふわふわの白猫。模様はありません。

 

猫って目を離した隙に家から出て行くんですね、いつも突然いなくなるのでびっくりします。飼い主としてはオロオロする。2、3年前神戸に旅行に行ったときのこと。猫も連れていったんです。お天気も良くて神戸のいろんなところに行けて楽しかったなぁと満足し、その日私は床につきました。夜中の2時頃、目が覚めました。そしたら寝る前までは確かにそばにいた猫がいないではありませんか(!)。焦ってホテルの部屋中探しました。ベッドの下、クローゼットの中、家具と家具の間までも。部屋中ぐるぐる回りました。でもいなかったのでいよいよ心配になり不安になってきました。夜中なのに一体どこに行ったん…?今、夜中の2時やで…?とにかく行き先が思いつかない。冷や汗が流れる。一応、うちの猫には携帯電話を持たせているので電話をかけました。応答なし。LINEしました。既読つかない。途方にくれて20分ほどおろおろしていたらやっと猫から電話がかかって来ました。
「今、ラーメン屋にいってる ゴロニャ〜。」
翌朝聞いてみると、昔から贔屓にしている深夜営業のラーメン屋に行っていたそうです。しかもホテルから距離5Kmほどの。しかもしかも徒歩で。
夕飯にイタリアンでピザとかパスタ食べたやんか!だから…!太るねん!!!!!!!!!


うちの猫はテレビが好きです。ずっとテレビの前にいます。そこが彼の定位置です。あとボールが転がるのを見るのが好きです。FIFAワールドカップが始まりましたね。飼い主の私からすると地獄です。そんな飼い主の気持ちもそ知らぬ顔で、猫はずっとテレビに張り付いています。朝の5時くらいまでワールドカップを延々と。私の寝室にテレビがあるから最悪です。
いつもはやる気も情熱もさほどなく、感情を表に出さず、喉を鳴らしてじっとしている猫ですが、この前久しぶりに携帯電話を見たあとシャー!と爪を立てて怒り始めました。怒るなんて珍しいな、友猫とのやりとりでケンカでもしたんかな?と思って問うてみたら「明日仕事が22時まであることが分かった。日本対コロンビア戦が観れない。終わった。」とのこと。その情熱を普段の生活に使いなさい。
試合のスケジュールをチェックし試合の前にシャワーを浴び観戦用にドリンクを買って来、用意する始末。飼い主との普段の生活にその情熱を使ってくれ(2回目)とテレビを見てるそばでイライラしながらこちらは眠りにつくのですが、夜中に目が覚めたとき、暗闇の中でテレビの光が反射し白々しく光るずんぐりむっくりした物体をみると、たまに寝ぼけて幽霊かと勘違いしひぃぃぃぃぃと悲鳴をあげてしまうことがあります。猫もびっくりしてます。自分が怖がらせてるのにね。恐ろしいから夜中のテレビ鑑賞はやめてくれ…。
そんな感じで私が起きる時間に猫は寝るという生活をしているのですが、起き抜けにキッチンから夜中食べたであろうインスタントラーメンの匂いが漂ってきたり、ゴミ箱の中に夜中舐めたであろうアイスの空袋を見つけるとまた私はイライラしてしまうです。
だから…!太るねん!!!!!!!!!!!

今日もまた舌打ちが止まりません。

 

※この話はフィクションです。ただ猫の頭皮がテレビの光をよく反射するのは本当です。

 

 

 

 

ピアノ教育に興味がある

 

 

 

「ごきげんいかが?どんな服を着ているの?お通じはまだいいかい?快く仲直りをしてくれない?さもないと、ぼくの名誉にかけて、バーンと一発やらかすぞ! どうせきみは笑っているな―万歳(ヴィクトリア)! 僕らのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!」


モーツァルトの手紙より

 

最近、ピアノ教育に興味がある。

というのは、クラシック界に名を残したスター達はどう考えても社会に適合できないクソダメ人間が多かったからだ。音楽がなければただの人、というよりは音楽がなければ人として終わってるという感じ。

彼らには豊かな才能と突出した集中力があったに違いない。彼らは特別な人間であって我々のような凡人とはかけ離れた存在だ、と言われればそうなのかもしれないが、果たしてそうなのだろうか。

私は19歳くらいまでピアノを習っていたが、ピアノって毎日、何時間もやらないと上手くならない。当然私はできなかった。子どもが毎日何時間も同じことをやり続けるのは結構至難の業だと思っていて、やり続けることはできたとしてもモチベーションを保つのもまた更に至難の業。彼らの親はどういう教育を施していたのだろう。(パワハラ的な世界があったにはあったのだろうが)

私は彼らの中にはADHD的気質を持っていた人達が結構いると思っていて、数奇というか苦労の耐えない人生を送りながらも、一つのことを続けてきたというのは、彼らを見習って真似できることがたくさんあると思う。

 

楽家達のクソダメエピソードを聞いていると、「できる人」というのは「どこかが欠けている人」なんだと思う。そう言われてみれば私自身、周りのできる人で全てが完璧な人を見たことがない。

まずできる人というのは何だろう。できる人の定義はたくさんあるのだろうけど、どの定義のできる人であれ共通しているのは、「続けることができる人」「辞めどきを知っている人」だと思う。あんまりやる気だの根性だのは関係ない気がする。

できる人は、まず休むのが上手い。自分を甘やかすのがとても上手い。あと結構自分勝手な人も多い。「なにかが欠けていることに躍起にならない」。足し算より引き算思考の傾向が多い気がする。やる気と根性、完璧主義は最も遠ざけていいものだと思う。 

 


自己啓発的な本で、やる気を鼓舞する本はたくさんでてるけれど、もっと「良い休み方」「手の抜き方」「上手いサボり方」とかそういうテーマに焦点を当ててみた方がいいと思う。「できるとアッパラピーな生き方の両立」とか。やる気なんて大概の日本人はあるって。真面目な方だって。

尊敬する人がいたら、その人の仕事のやり方だけを真似するんじゃなくて、その人の休み方やダメな部分も観察したほうがいい。と思いますよ。

 

 

かなり駄文にはなってしまったが、映画「シャイン」を見ていたら、ふとそんなことを思ってしまったのである。(シャインは天才ピアニストデイヴィッドの人生を描いた実話映画。興味がある人はぜひ)この映画を見てると幼い時の自分を見てるようで辛かったし胸糞悪いのオンパレードだったのだが、ラストの方でいい風になっていく。デイヴィッドは精神が崩壊することでそれまでの何かが「欠けた」。そこから本当の自分を取り戻していく。ラストに注目して見てもらいたい。