デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

なんばグランド花月に行った話

 

 

前々から担当医から「ゆきさんは感覚過敏があるので、のどかな山奥に篭って暮らした方がいい」だの、家族からも「刺激が多いと体調をよく崩すね」と言われており、当の本人は自分の感覚の基準しか実感としてないのでいまいちピンとこず、もしそうだとしても気にしても無駄で、それならそれで生きたらいいだけと、かっこつけて割り切っていたのですが、少し心が折れることがあったので書きます。

 

まず感覚過敏というのは、視覚・聴覚などの動物に備わっている感覚が人より敏感なことで、例えば触覚過敏で特定の肌触りの服は絶対に着れない、視覚過敏で明るい屋外をとてもまぶしく感じるとかそういうことだそうです。レベル1の音がレベル5くらいの大きさに聞こえるとか。発達障害に伴いやすい特性だそうです。私もきちんと今回調べてみたんですが。興味がある方はこのサイトを見て貰えば理解できるかなと思います。

kidsinfost.net

 

最近、和牛という漫才コンビにハマってしまった私は、どうしても和牛のお二人を見てみたいと思ってしまい、寝ても覚めても和牛という感じでして、たまらず、チケットを取ってなんばグランド花月に行ったんですが、とても楽しみにしており張り切っておりました。が、めちゃくちゃしんどくなって帰ってきました。

状況を説明しますと、私の隣の人は退屈なのか、ずっとスマホを触っており画面をめちゃくちゃスクロールしていて、そのスマホの光とか、スクロールしている動作を気にしないでおこうと思っても、気になってしまい、おまけに加齢臭を放っていた。そして後ろの席の家族は、漫才や新喜劇を見ながら実況解説をしており、簡単に言うと家でテレビを見ててもいちいち口に出して突っ込むタイプであろう人達で、まぁ例を出すと、新喜劇で「年金手帳」ていうワードが出てくると「年金手帳ってなに?」とかお子さんの方が聞いたり、親の方も「この(笑いの)意味分かるか?」とかそういうことを最初から最後までやっていた。で、前の席の5人グループみたいな方達は、多分、お酒を飲んでて、お酒の匂いがしていた。

その光とかおしゃべりとか匂いが一度気になってしまってからら、それがずっと気になってしまい、漫才や新喜劇の内容が全く入って来ず、言葉が断片的なものとしてしか聞こえなくなって、文字が空気に浮かんでる感じになりそれを傍観しているみたいでキツかった。正直、3組目のダイアンで、もう帰りたいと思った。ダイアン好きなのに…。

 

誤解しないでほしいのは、スマホをスクロールしていた人や実況解説してる家族や、お酒を飲んでる人が迷惑で嫌だという意味で書いたわけではないということをわかって欲しい。だって、その行為一つ一つはルール違反ではないから。スマホで撮影してるわけじゃないし、お笑いのライブはバレエやクラシック音楽みたいに静かに聞くジャンルのものではないし、みんなでワイワイ観る類のものだと思う。飲食も許されており、なんなら公演中に食べる用のお弁当だって売られている。全てがよくあることの一つ一つだと認識していることを分かって欲しい。

しかも隣に座ってた彼氏は公演自体を楽しんでたし、ゲラゲラ笑ってたし、私の近くのお客さんもほとんど笑ってたと思う。私だけが無表情で、言葉の分からない国に行ったみたいになって、公演が進むにつれて精気がなくなってきて、頭痛がしつつ最後は彼氏の肩でうなだれていた、と思う。

 

やっぱり、感覚過敏な所があるのかもなと思いました。優しい人は、その状況だったら気になって集中できないよ!とフォローしてくれるかもしれない。でも、特に密閉された空間になると、一気に感覚過敏になってしまい、元気が無くなるみたいです。新幹線とか飛行機とか、車とか。しんどいしヘロヘロになるもんな…。

旅行や遠出もある程度の準備と心構えがないと行けないので(というか怖い)、損してるんかもな~とも思う。最近は行き慣れた場所以外、あまり出向こうという気分になれない。彼氏か家族の(大げさな言い方をすると)補助がいるかなという感じです。一人で行かないといけない場合、緊迫した気持ちになるのでビクビクすることがあります。

が、私も私で、このような生活も長く経験して来てるし、不便は感じるものの、不便な生活なりにその中で楽しみを見つけることが出来ているし、家の中で出来るものの中で娯楽を見出せるタイプなので、そんなに不満はないのだけれど。そんなに大きな娯楽がなくても、物足りないなどフラストレーションを感じることもあまりないし。


今回のチケットを取ったのが、

3月春休み 午前中  二階席

という日時だったんで、オフシーズンで色んな観光客の人も来ていただろうし、時間帯も早いから子どもも多かったですし、二階席なので余計に集中しないと聞き取れない位置だったろうし、あまり私には向いてないというか、判断ミスやったんかもな、と思いました。

 

私の周りの人達は、私の事情込みで、いつも本当に気を遣ってくれたり心配してくれるので、一人一人に十万円位、お歳暮お中元の折に渡したいくらい、ほんとにほんとに感謝しているんですが…。私が友人に会う場合に、彼氏がついてきて手を繋いだりしているのは、イチャイチャしてるとかそういうことではなく、人混みや遠出が怖くて補助してもらってるんで不快に思った方がもしいたら、ほんとにすみません。長年の付き合いのある方は、一人でも出かけれる自信があるのですが、やっぱりどっか不安に思っているところはあります(涙)たまに、彼氏にうなだれて歩いてることがあるので通りすがりの人には、「なんや、このキモカップルは…」と思われる方もいるのかもしれません…。まぁキモカップルでいいか!

長々と伝わりにくいことを書いたけど、言いたいことは、私みたいな感覚過敏の人がもしいても、そんなに気を使わないでほしい。こと私に関しては。できないことがあったら言いますし、しんどくなったら帰るので。観光客の人はやっぱり舞い上がるものだし、子どもは泣いたり活発になったりするもの。飲食可の場ではお酒を飲んだりする人もいるもの。それと並行して、私みたいな感覚過敏の人がいるってこと。それぞれがそれぞれの立場で手を差し伸べあったらいいのではないかと思います。交差する社会ってそれぞれの立場を理解し合って、それぞれが一杯一杯で具体的な援助ができなかったとしても、それぞれがそんなこともあるんだな~と、それを知ってくれていること、絶対的な肯定や否定がないことが素晴らしいことなんじゃないかな、と思います。

 

だって、私だって出来るなら観光したいし、観光地で浮かれたい。子どもはかわいいから一緒に遊びたいし、なんならうちの家の子になってほしい。お酒は飲めなくてもみんなと居酒屋とか行きたいですし。たまには夜も出かけたい。やっぱりしんどくなったとしてもたまには観劇もしたいです。

しんどくなってもいっか~とやっぱり怖いなぁ~という中間の心持ちで生きています。全てを拒否するような気持ちになってしまうと、本当に人生そのものが私にとっては辛いことです。

 

ただ、やっぱり私じゃない感覚過敏の人で気を遣って欲しい人、どうしても無理なことがある人がいるかもしれないので、それはそれで優しく見守ってくれるとありがたいかな、と思います。(過去にベトナム料理屋に行こうと誘われて、スパイスなどの刺激物がダメなんでやんわり断ったらあからさまに嫌な顔をされたことがあったので、少し悲しかったです。)

 

で、肝心の和牛は一発目だったんですけど、しんどくなる前に和牛のお二人が見れてほんまに運が良かった~!!!!川西さんが、めっちゃスタイル良くて、二階から見ても美しい白魚のような輝きを放っていて眼福やった~~!めっちゃうれしかった~~~!!!

あと強がったけど、ほんとはたまには旅行に行きたいです。スペインとか、ロシアとか、インドとか…。多分難しいでしょうけど…。強がってすみませんでした…。しかもストレスがたまっていると、生活の不便さにイライラすることもあります。かっこつけてすみませんでした…。皆さんいつも気を遣ってくださってありがとうございます。みなさんの好意を当たり前と思わず感謝して生きたいなと思う毎日です。あと大好きな和牛さんのことをこんなトピックに出してよかったのか、と少し罪悪感を感じています…。和牛さん目当てのファンがたくさんいらっしゃって和牛さんの人気を目の当たりにした一日でもありました。

 

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ショルダーバッグの持ち方がダサい

 

続けたいけど、続けれないあなたへ

 

 

よくTwitterで「嫌なことがあったら逃げたり辞めたりすることが大事って言うけれど、やはり何かをやり続けることが技術や実力の習得になり、最強である」みたいな趣旨のツイートが回ってきて、時にそれがバズったりしているんですが、今日はそのことについて私の見解を述べたいと思います。


いや~そういうツイートって傷つくよね。正直。私みたいな何も続いてこなかった人間からすると。お前はダメな人間って言われている気がして。

で、その前述したツイートに、私と同じような気持ちの人がいて、「傷つきました。」とか「自分の根性とかそういう原因ではなく、病むを得ない事情で(なにかを)辞めないといけなかった私の気持ちがお前に分かるもんか!」とか「続けれるものが人生にあるのは、たまたま恵まれていたからだ!」とか、つらつらとお怒りのリプが続いているんですよね。そう、言いたくなる気持ちは分かる。


でも、やっぱり続けることが一番大事、だとも思うんです。特に、私のような反射神経が鈍い凡人には。続けた人が持っている技能というのは素晴らしいと思う。だから続けることは大事。でもでも、多分、続けることが大事、なんてほとんどの人がわかっていると思う。バカじゃないんだから。だから、あのようなツイートが回ってきた時、「わかっているけれど、続けてこれなかった人達」が反発するんだと思う。みんな、何かを好きになって、何かを始める時ってそれなりの気概で取り組んでいるだろうし、世の中の「辞める・諦める」人達がそう軒並み、根性がないとも思わないです。

 


なにが言いたいかっていうと、何かを続けたいのであれば、何かを続けるためのインフラを考えて整える、これが一番必要なのであって、そしてこれが案外こういう話題を語る上で一番言及されていないことなのでは、私は思います。

根性も、意気込みもある、何かを続けたい気持ちもあるーーーーそれで続けれないんだったら、それは続けるための環境作りが整ってないとしか考えようがないじゃないですか。


続けるための環境作りっていうのは、自分が続けやすい状況を作るってことなんですが(当たり前だ)、具体的に言うと、

 


・スケジュール管理

続けたいと思っていることが、自分の生活の中でどれくらい優先順位が高いか、を考える。他の生きている中で出てくる用事やスケジュールはその優先順位に従って組む。体が空いているから、元気だからといってやみくもにスケジュールを組まない。このスケジュールがやみくもな人は、いつか体か心を病みます。病まなくて自分が元気だとしても、周りの人間を振り回すことがあり、迷惑をかけます。自分の続けやすいリズムっていうのが必ずあるので、それを試行錯誤しながら、ゆっくり冒険する気持ちで取り組む。


・自分がどういうことにストレスを感じやすいかを考える

最初は意気込んでいても、何かをし続けていると絶対に嫌なことが起こると思う。それについて、何が嫌だったのかを考える。その原因を辿っていけば、自分の本質的なものが見えてきますし、それを回避したりすることもできるし、これから同じようなことが起こった時にどう対応しようかも考えることができる。


・無視する

前項と反しますが、嫌なこと、上達しないことがあっても、その事実自体を無視する。この無視は、何かを続けるにおいて一番の武器になる気がします。この武器を多用し続けると、ずっと頭がひとつ抜けることができず、ただただ経験年数が長い、中身のない人間になる可能性もありますが、随所随所で無視が上手い人間になる。無視するタイミングの見極めが上手い人というか。これは大事なような気がします。例えば、私でいうと、洋裁をしていますが、苦手なことがあります。作った服に、雑な箇所があります。でも、苦手なところは放っておいて完成させることを優先することがあります。


・あまり思い入れを持たない

思い入れが大きいほど、失敗した時に失望する加減が大きくなるので、「自分はこれに人生をかけている!」とか思わないほうがいい場合もあります。やりたい、やりたくないっていう気持ちは長く続けば続くほど、さほど重要ではない気がします。私は服を作っていますが、さして服で成功したいとか、服作りが天職みたいに思ったことがありません。なんなら、作るなんて面倒くさいし、買う方が圧倒的に好きですしね。服の専門学校に行ったのは、単なる暇つぶしみたいなもんでした。

 

・とりあえず悩んでわからなくなったら「臨機応変」という四字熟語を頭に思い浮かべる

 

自分の続けるためのインフラ整備、環境作りって、他にもいっぱい要素があって、なんなら自分の生活を見直すと無限にあると思います。上記のことでも、無理にスケジュールをこなさないといけない状況もありますし、これが失敗すると人生が終わるっていうくらいの覚悟を持たなければいけない時もあると思います。


続けようという気持ちは誰にでもあると思う。ただ、続けるにはどうしたらいいのか、と考えている人は余りにも少ない。気がする。続けるための環境作りって、要は自分を甘やかす環境作りだと思います。何かを続けている人って自分を甘やかす方法を分かっている人なんだと思います。自分に対する飴と鞭が上手いんだと思います。もしかしたら、続けれなくて悩んでいる人は飴ばっかり舐めているか、鞭ばかり打っているか、どちらかに偏っているのかもしれません。

でも続けれたからって人生幸せに生きれるかっていうとそうでもないし。なんなら、私の周りに一人、職場を転々としていて、周りのみんなに持ち前の愛嬌で好かれていて、彷徨える猫みたいに暮らしている女性がいます。その人は私にとっては、尊敬に値する人です。

んでもって、続けれることがあるのははたまたま恵まれているからっていうご意見も一理あると思います。病気、経済状況、事故、家庭環境の変化、色々なことがありますからね。それで辞めてしまった人達を根性がないという目で見る人は、人としてアレなんで無視しよう。ダイレクトに言うと、そいつは人生の複雑さをわかってない傲慢な馬鹿ということです。んで続けてきた人達って、やっぱそれなりの技能・年収があるんで偉そうに見えるんですよね。続けれてこなかった人達からすると。こちらは成功体験も少ないですしね。気後れしちゃいますよね。

 

まぁここまで書いてみたけど、今現在の私は、どうでもいいや。続けるとか続けないとか。昔は気になってたけど。そこそこに穏やかに生きれてたらいいわ。てか、生きるの続けてるだけで、えらくない?この続ける続けないの論争どうでもいいや、しょーもなさすぎ。こんなしょーもないツイートを真に受けて傷ついてほしくないから今回書いてみました。


頭がぼーっとして仕事にならないので、今日は寝ます…。

 

 

 

 

 

 

運命の一枚を探せ!〜2018年輝くレコード大賞〜

 

 

 

 

例年のごとく、彼氏が紅白実況に精を出しており暇なので、突然ですが、今年聴いたものでいいなと思ったものを紹介します。音楽、アートに関しては疎いほうですし、別にこれと言った解説ができるほどの素地もないので、完全に感覚的に良いと思ったものを挙げます。

 

 

 

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以下、(アーティスト名/タイトル名/リリース年)とさせて頂きます。

 

Fabio Caramuru/Piano Solo/2000

    なんか、中谷美紀が聴いてそう、好きそう。

Rhye/Blood/2018

    聴いてもらったら納得して頂けるだろうが、この声が男性ということにまず驚いた。あとこの前行った騒がしいカフェで流れていたが、全然店の雰囲気と合ってなくてワロタ。

Blood Orange/Negro Swan/2018

   Blood Orangeの三枚目のアルバム。一作目から聴いており、二作目はなんとなくモヤモヤが残っていたが、三作目の今作が間違いなく一番完成度高い。一枚目の感じに戻りつつも、さらにアップデートして来た感。

藤井隆/DJ MIXDelicacy/2016

    藤井のこれまでの曲をリミックスしたアルバム。とにかく藤井の歌う曲はどれも素晴らしい。ベストオブベストな歌が勢ぞろいの上に、小気味よくリミックスしてくれているものだから一気に聞ける。ラストのナンダカンダで景色が変わる。とにかく今年は、このアルバムを一番聞いた。

MOCKY/Key Change/2015

    どこがいいかうまく説明できないけど、とにかくいいアルバム。

Teyana Taylor/K.T.S.E/2018

    お騒がせセレブの印象だったカニエを舐めていたし馬鹿にしていたが、やっぱなにやらせても敏腕だし、この人は骨の髄までオシャレな人なんだと思った。(このアルバムは、カニエプロデュース)

星野源/イデア/2018

    星野源の手駒を出せるだけ出した最高傑作、最終傑作(造語)という感じ。正直、やり尽くした感、ピークを迎えてしまった感あり。これからが大変そうで(ネタに苦しみそうで)ファンとしては心配。

Too Ugly/Verus Amour/2018

    9枚目がとりたてて良いものが思いつかなかったのでこれにした。別にdvsnmorning after(2017)でもよかった。

Bonobo/The North Borders Tour.-Live./2014

    眠れない時は、ブルートゥースのイヤホンでこれを聞く。なんか高揚しつつもリラックス状態になり、ちょっと眠れる。静かな落ち着いたクラブにいるような感覚になる。ある夜、いつものごとく眠れない状態になり、スピーカーでこれを聞いていたら、隣にいた彼氏がすっ飛んできて「ご近所迷惑よ!」と怒られた。

 

 

 

~番外編~けみお/どこまでいっても渋谷は日本の東京/2018

 

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とにかくけみおに救われた1年だった。適当な感じだけど、全然本当は適当じゃない思慮深い好青年だってこと、我々視聴者は知ってますよ。音楽もよく聴いてるみたいだし、本人も切望しているラジオ番組を来年はやってほしい。我々はけみおにコンテンツなど期待していない、トークに期待している。

 

 

 

~写真集編~金山貴宏/While Leaves Are Falling…/2016

 

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今年は、マルジェラの写真集なども買ってみたけれど、正直良さは感じなかった。

というかあんまり理解が出来なかった。本作は統合失調症の母を撮り続けた作品のような、ドキュメンタリーのような。実直に、淡々と撮っているのも感じながらも、ちゃんと美しさ、浄化される部分もあり、良い作品だった。

 

 

~本~タモリ/戸部田誠(てれびのスキマ)/2014

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本もそこそこ今年前半は読んでいたような気はするが、昨年読んだタモリ学を超えるものはなかった。もし友人で気持ちが落ち込んでいる子がいたら、高確率でこの本を紹介すると思う。

 

散々、好きだと思ったものを挙げていったが、あんまりどこが良いのかはちゃんと書けなかった気がする。自分の好きなものに共通する点を挙げてみると、繊細なもの緻密なもの、造る過程や手順がきっちり段階が踏まれているもの、素直で実直なもの、持病の双極性障害に悪影響を及ばさないテンションがあがらず冷静で温度が上がり過ぎないものを無意識のうちに手にとっている気がする。

 

今年も大変お世話になりました。私のグダグダにお付き合いくださり、ありがとうございました。来年も間違いなく、くだを巻きます。どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

あのときと、それから

 

 

 

 

突然だが、私の母は大学の同級生であった父と恋に落ち、卒業してからほどなく結婚した。右も左も分からない世間知らずだったから、結婚式も住む家も流されるように、つまり義母(私の祖母)にされるがままの結婚だったと母はいう。父と母は研修医をしながら大学院に通っていた。そんな中、妊娠した。私の誕生だ。指導教官にはほんの少し、嫌味を言われたそうだ。

 


私が生まれた後、母は産後2ヶ月で職場復帰した。今の事情は分からないが、母の働く世界ではそれが当たり前だったと言う。当然、私は母と日中、はなればなれになった。

私を預かってくれたのは、祖母ではない。近所に住んでいた祖母の妹である。よし子のおばちゃんと呼んでいる。小さい時のことなので細かいことは覚えていないが、おばちゃんとの思い出の輪郭はやわらかく、あたたかい。おばちゃんは口は悪い方だけれど、よく笑い大きな声で豪快に話すにぎやかな人だった。家は、いつも整理整頓されていて、カレンダーの廃紙を本のカバーにアレンジしちゃうような人だった。確かにおばちゃんの家は裕福とは言えなかったが、ケチなのではない。リサイクルするのではない、アレンジするのである。おばちゃんの家はおばちゃんのアイデアが散りばめられていた。だから、幼心にほっとさせるものがあった。そして、その時代に生きた人には珍しく、常識や世間の流れに子どもを合わせるのではなく、子どもの内側を見つめるひとだったように思う。おばちゃんの家族に囲まれ、にぎやかな日々を送っていた。

そんな生活が続いていくものだと思っていたけれど、ある日おばちゃん一家は姿を消してしまった。いつものごとく、インターホンを鳴らしても出ない。おばちゃん、おばちゃんと呼びかけても返事がない。お別れの言葉も交わすこともなく、引き離されるような形で、さよならの日が突然来た。生まれて始めて、稲妻が走るようなショックを受けた。稲妻が走った後、夕立のように私は泣いた。おばちゃんは、祖母が管理していたマンションに住んでいたので、きっと大人の事情により去らざるを得なかったのだろう。2歳だった。

 


幼稚園に通い始めると、伯父が結婚した。伯父は過去に駆け落ちするほど好きな人がいたようだが、それもまた引き離されたのち、見合い結婚をし伴侶を得た。おうちに知らないおんなの人が来た。名はちえちゃんという。ちえちゃんについて、説明しておこう。ちえちゃんは、短大を卒業してから家事手伝いという名目のもと、実家で花嫁になるのを待って、うちの家に嫁いできた。クラシックスタイルを体現したような人だった。

それからは、ちえちゃんがほとんど面倒を見てくれた。幼稚園や習い事のお迎え、外で遊ぶときもずっと一緒にいてくれた。一日中、義母の仕事を手伝い、当たり散らされ、他人の子の面倒を見、感謝もない。ちえちゃんはなかなか子どもができなかった。そんな日々を送っているうちに私には弟ができた。

 


母は、無事、大学院で博士号を取り終え、病院にて勤務していた。それでも忙しさは変わらなかった。母が自転車で迎えに来てくれた時、習い事に顔を出してくれた時のことはよく覚えている。なぜなら、我々2人にとって、世にありふれた母娘体験というものはネッシーを発見するくらい、珍しいものだったからだ。その頃の母は、毎日病院から帰る電車で心が落ち着かず、気分の良いものではなかったらしい。一刻も早く仕事を終えて帰らねば、と心がギュッとぞうきん絞りみたいにされるような感じ。罪悪感からか、焦燥感からか。それは分からないけれど。そして母はよく怒っていた。私は地頭も根気もあまりない子どもだったので、母の思う通りにならず、理解しあうこともなく、そのすれ違いで母は余計怒るようになった。母の思う枠内で動く弟は、自然と家族と調和した。私は母のかんがえる子どもではなかった。

 


思春期にありがちな、どうにもこうにも居場所がない、母と父の思う子にはなりたいと思いつつも努力の仕方がわからない、というような薄暗いトンネルを潜っているなかで、ある1人の女の子に出会った。その子は中学校の同級生で、小学校は一緒じゃなかった。みんなに慕われていて勉強がよく出来、いわゆるガリ勉って感じ、じゃない。その子は勉強ができるけど、点取り合戦をやっているように見えなかった。どこか、自分が一歩一歩進んでいくことを楽しんでいるように見えた。そんな人を始めて見て、ビックリした。よく文化人がインタビューとかで、同級生からカルチャーの影響を受けたっていうけど、そういうなら、あれは私の体内にニューカルチャーが入っていく瞬間だった。そのとき抱えていた陰鬱なものが自分の体からすぅっと抜けていったような気がする。その子とは勉強のことも他のこともたくさん話した。中学の最期の半年くらいしか一緒にいなかったけれど、楽しかった。卒業したら、なんだか私、がんばれそうな気がする。私の努力の素地はこの時にできた。

 


努力の素地はできたものの、エンジンが熱くなりすぎちゃって、車輪が空回りしちゃって、ある日私は電車のレールから大きく脱線してしまった。このことは、何回も書いたので今日は書かない。この頃は、家族の輪の中からも脱線しかけていた。母親に、「もうあなたのことは理解出来ないから、離れて暮らしなさい」と半ば追い出されるような形で、一人暮らしをしたこともあったし、家族とそもそも顔を合わせるのを避けていた。母は、最初は豊富な、その筋の優秀な医療機関を娘に与えることで解決するのではないか、と思っていたのかもしれない。が、そもそもが病院にも行きたがらない。家にずっといる。体は痩せたり太ったり、風船のように変わっていく。母親はもう、この時、ほんとうの私と向き合わざるを得なくなったのだ。ここから母と二人三脚の日々が始まった。

当時、私は未曾有の竜巻きに飲み込まれたような感じで、周りの景色も見えなかった。私は、竜巻きに吹き飛ばされないように必死で母にしがみついていた。母は、私に怒りや悲しみを当たり散らされる。それもいつ、起こるか分からない。小さな子のようにショッピングモールの真ん中で泣き叫ぶようなこともあった。駄々をこねるようになった。母娘2人、吹き飛ばされないように必死だった。竜巻きが怖くて怖くて、いつ何が起こるか分からなくて、不安だったから「仕事をやめて一緒にいて」と母に懇願した。母は、午後の仕事を辞めた。毎日、母と一緒にいた。色んなところに行った。あらゆる場所に迎えに来てくれた。バイト先まで迎えに来てくれた時期もあった。何かあると、ボタンを押したら来てくれるレスキュー隊のような存在だった。当然、母は疲弊した。でもとにかく娘が倒れないよう、吹き飛ばされないよう、どんなことがあっても立っていた。

 


そんな中、I先生に会った。I先生は、主に子どもの体と精神との関係に研究して来られた第一人者のような先生で、長年お世話になった。どんな時も、私の味方になってくれた。メリットとデメリットの両方をしっかり話してくれる大人だった。

いよいよ、私の状況がどうにもならなくなって、切迫した日々が続いていた時に、入院の話が出た。先生は私の家に来た。そして私の枕元で、話して安心させて帰って行った。

そんな生活を送っていたので、自然と疎遠になった人もいたし、意図して離れていく人もいた。でも中学生の時に仲良くなったあの子は、連絡を取ってくれたし、会ってもくれた。その子と話している時は、自分の心の素直な部分を話せる気がしたし、等身大の自分を恐れず気負わず話せる気がした。人付き合いらしいものが、何一つ出来ず脅えて暮らしている中、その子といる時はなんとなくそれらしいことができた気がした。その子もその子で、努力の車輪が加速し過ぎて、うまく行かないことがあり、同じようなニュアンスで悩んでいたのかもしれない。でも今からおもえば、その子が私が居やすいように空気を作っていてくれたような気もしている。

 


それから数年経って、私は昨日、32歳になった。よし子のおばちゃんは80歳になって、体が良くないことが増えた。だから最近は手紙を出してもおっくうなのか、返事が来ない。ちえちゃんはあの後、離婚した。実家に戻って子育てしている。その子どもも、もうすぐ成人する。そして私が、ちえちゃんの住んでた家に、今、住んでいる。

I先生は癌が見つかり、しばらく静養された。もう診察自体はされていないが、子どもを守る活動自体は少しされていると噂では聞く。

母と20代をずっと過ごしている間に、母との関係はとても良くなった。自分が歳をとり、母が私を産んだ年齢も越すと、あの時の母の状況や苦労が容易に想像できる。今でも家族に対して複雑で整理できない感情があるのは否めないが、一つ一つを乗り越えて2人で紡いで来た絆はかけがえのないものである。今では、母親が自分の娘のように見え、何かあったならば母を撫でて磨き宝石のように、毎日大切にしている。こんなに大切で尊いと思える気持ちや絆があって、自分はそれを下の世代にそれを繋がなかったという事実に、たまに落ちこむこともあるが、私と娘がそれを再現できるとは限らないしな、と思い直し我に帰るようにしている。

そして中学の時のあの子は、最近子どもを産んだ。あるあるだけど、自分が経験していないから、何を話して何を励ましていいのか分からず、ワタワタする時がある。思えば、20代の時、あの子は、私に対して何を言えばいいのか分からず悩んだこともあっただろうなと最近考える。真面目なあの子のことだから、きっと戸惑いながら繋ぎとめてくれた瞬間があったのだろうと思う。

 


32歳になっても未だ、人との距離感が分からない。でも、自分の子のように育てたよし子のおばちゃん、複雑な想いで接してくれたちえちゃん、医師と患者の一線を飛び越えて家に来てくれたI先生、さりげなく見守ってくれた中学の時のあの子、あまり幼少期を一緒に過ごせなかった母、その後の母親との繋がり、どの距離感も全て、簡単に正解とか間違いとかを言い切れるものでないと思う。一見間違った距離感でも、どこか思いもよらない所で、補い、挽回できる場面に、生きていると遭遇するのかも、しれない。

 


誕生日は、電車の窓から綺麗な夕焼けを見ました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

色んな立場の女性を登場させることに尽力しましたが、一見したところの、その人の置かれている立場で女性を決めつけてはいけないように、最近、思います。経験したことない、よりも、相手の立場を想像し、その世界を覗いてみたことがあるという体験のほうが社交において重要な気がします。30代になって、意外とカテゴリー分けをして、共感性の世界で生きたがる女性も案外いるのだなということにビックリしました。そんなの最後は傷付け合いになるだけじゃないか。平等に扱われたい、はそこからじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうすればいいですか

 

 

私はよく怒るので怒らないためにはどうすればいいかなと、ここ最近少し考えてみましたが、怒りの矛先が「人への攻撃」に向かないだけまだマシかなという結論に至りました。怒らないのが一番いいんですけども。

 


大体人を怒らせてるような内容は大体みんなも同じように不快になるので、自分の怒りを第三者に訴えるとき、「自分を怒らせてる人のレベルまで下げない」ということが大事なんだと思います。怒らせてる人のレベルまで自分が下っていってしまうと大体周りの人も結果的に不快させることになるので。それが怒るときに気をつけるポイントなんだと思います。

 


なぜ自分は怒りやすいのか。それはストレスと周囲への恐怖心、被害妄想から来ると思うのです。周りが怖い人というのは結局自分に自信がないので、怒ることで自分を守るという戦法を使いがちになる気がします。今日はなぜ自分が怒るのか、その理由をメモしておきたいと思います。

 


怒るというのは、相手への誤解から生まれることもたくさんあるのでこのメモ自体、不快にさせると思うので、読み進められる方はそこは鵜呑みにせず私へ半信半疑の思いを持って読み進めてほしい。

 


(1)常時持っているストレス

一つのガスコンロがあったとする。ガスコンロはネジを開けると強火になり閉めると弱火になる。人はガスコンロを調節することが出来る。火が強すぎると弱火にする、火事になる前に火を止める。それを無意識的に調節していると思う。が、私にはガスコンロのネジが付いておらず、気を抜いてしまうとすぐに強火になりやがて火事になり、ガスは使い果たされ再起不能に近くなる。コンロを修理しガスを注入するのに時間がかかる。修理される度にコンロ自体も老朽化していく。ということが頻繁に起こるので、このガスコンロを常に弱火に保つため、自分というガスコンロを常に監視しとく必要がある(=やる気を出さない、テンションを上げない)。基本的に私はやる気があるタイプだし、やりたくないことにやる気を出すなと言われたらそりゃ願ってもないと喜ぶ人もいるかもしれないが、楽しいこと・やりたい事にもやる気を出すなと言われたら困るのではないでしょうか。とにかく自分の行動の一つ一つに「やる気が出過ぎていないか」ともう一人の自分が24時間体制で鞭を持って見回りしているので、ストレスは溜まる。が、それをしないとすぐガスコンロは強火になり、火事を起こすので自分の監視体制を外すという選択肢もなく、自分のやってることが正解なのかやりすぎてないかと常に自分に対して半信半疑の気持ちを抱いているので、そりゃ自分を認めてないことに等しい。ゆえに自然とストレスは溜まる。気が狂いそうになる。

 


(2)対人関係のストレス

何が普通かなんて基準はないし、私自身が見た普通なので、話半分に聞いてほしいが、「普通」を装うのにやはり必要以上に力を使っている感覚はある。普通の生活なんてないのかもしれないけど、立って生活をすることがしんどい時がある。フラフラしたり電池が切れたように眠り続けたり吐いたりするのが日常茶飯事ではある。

自分的には不便な生活をしているとは思うが、私は「自分だけが辛く、自分さえ良ければいい」という方向にはいかなかった。そういう人もいるし、それはそれである種の防衛反応だと思うのでそれも否定はしない。しかし「自分が出来ないことが多い」「生活が不便に感じることが多い」ということを踏まえて、「(他)人も辛い思いをすることがあり、自分とは違うかもしれないけど出来ないことに悩むことがある」という風に考えるようにはなった。なので、自分の気を抜いて話したことが、他人のしんどさの核を突いてしまって傷つけてしまったらどうしようと、妙に気を遣いすぎることがある。(後述する(4)のようなことがあったので。)人と話すのに気を遣い過ぎて頭が爆発しそうになるときがある。そしてたまにその気の使い方が間違ってキツイ言い方をされたり、気遣いを無下にされるような行動を取られると、ひどく落ち込んでそれが怒りに変わることがある。が、人を傷つけてしまったり自分が傷つかないこともどんなに細心の注意を払ったとしても絶対になくならないことは分かっているので、仕方がないが、どうもピュアな私はその事実にも気を病んでしまうことがある。

 


(3)とにかく自分に自信がない

ここには何回も書いているが高校卒業してから、大学もやめてしまったし、バイトも続いたこともないし、無論就職もしたことがない。結婚もやめてしまった。自分に人生の変数を増やすと、ガスコンロの調節が複雑になるのでなるべく変数を増やさないようにしようと、ある時から決めた。しかしなんにも完遂してこなかった自分に自信がなく、完遂できなかったことも自分の中では納得した理由はあるにはあるので自分に自信を持てばいいものの、とにかく人との世間話で出てくる学歴・仕事・結婚・出産の話で最近は非常に落ち込みおっくうになることが多い。相手はそんなつもりは一切ないのに、できなかった自分を思い出してみじめになる。例えば受験の話になると大学に落ちた自分を思い出すし、正直、大学受験からやり直して自分の名誉を挽回すればいいのか、とさえ思うほどである。世間話においても、「仕事をしているのが普通」「長年付き合った恋人と結婚するのが普通」という常識が根底に流れており、その普通に合わせて話するのが辛い。どこか出かけても「今日はお仕事お休みですか?」と挨拶のように尋ねられることが多々あり、「えへへ、まぁそんなものです」とは流している。流すしかない。しかし世間に対して嘘の笑いでごまかす自分が、自分自身をも嘘の笑いで流し、無下にしているような気分になり、虚しくなる。世間の一般的な感覚を恨んでるのではなく、それを出来なかった自分を結局は恨んでいるのであり、周りは何も悪くない。何も完遂出来ていない自分を一番嫌っているのは、結局は自分なのである。

自分を認めてあげるのには、自己肯定感を高める作業が必要になってくるのであろうが、学歴も仕事も社会的な役割がなに一つない状態から自己肯定感を育むのは結構、難しい。

ということで何か自信を取り戻す必要性を感じているため、自分なりにもこれからの人生をどうしていこうかは真剣に考えてはいるものの、このガスコンロを調節している間に体調を崩すことが多く、なかなか人生を進めていくことが頓挫になってしまい、さらに凹むという次第である。ゆえに「何もしてない人」と思われるのが怖く、人付き合いにおいて抑圧した自分を感じるのは否定できない。

 


(4)実際にひどい人がいたり偏見があった

体調が悪くて予定をキャンセルしたら「あなたは私の時間を無駄にしている」と長文のメールを送ってくる人がいたり、とあるシングルマザーから「あなたは親の脛をかじって生活をかけて働く必要がなく楽をしている」とこれまた長文のメールが来たり、障がい者手帳を申請するかもしれないと言ったら「交通費とか援助してもらえるからラッキーだね」とか言ってくる人が実際にいた。自分自身が体の苦痛と戦っているのに、こんな暴言を吐かれるこちらの身になってくれよ。まあ世の中にはひどいことを言ってるつもりがなくても、人の心に深く傷を残す人がおり、思い出すたびに私の怒りを掻き立てるのも事実である。

 


長く書いたけど、とにかく今現在、(1)で述べたガスコンロの調節が大分とキツく、私の心を退廃的というか狂気的な気分にしている。それゆえストレスが溜まると、火に油をそそぐように、怒りが燃えたぎるという形になる。正直コンロを調節してもしても、光の見えない生活に疲れてしまった。でもこの調節も板についてくると、きっと平常心でいれる時間が長くなってくると思うので、今まで完遂できなくて悩んでたことも一つ一つ完遂できるようになるだろうし、まあ、疲れるけれど、生きている限りは諦めないでやり続けようとは思う次第ではある。

もう全てが手遅れのような気もするが。


心穏やかに暮らしたい。

 

 

 

 

 

 

青春が終わった瞬間


今から書くことはきっと若さゆえのことだと思われるかもしれないが、自分の中で大切なことなので書いておく。

昨年の夏に自分の性質に対して行き詰まりを感じてから、この一年自分を失くすトレーニングをたくさんやってきた。一年間トレーニングすると決めたわけではない。やっているうちにあっという間に8月になってしまった。その結果、おだやかな日々が次第に訪れ、きっとみんなの言う「安定した生活」「健やかな暮らし」が出来ていると思う。私を支えてきてくれた周囲の近しい人達は負担を背負うこともなくなったし、きっと私に振り回されていることによって生じていた緊迫した時間もかなり減ったように思う。周りにも安寧の日々が訪れたのだ。一つのことに対して俯瞰してものごとをみれるようになったと思う。体調も安定してきた。友だちも増えた。臆することなく世間話もするようになった。丸くなった。要は何事も腹八分を覚え、行き過ぎたことにはブレーキをかけ、オブラートに包むということを知った。

そんな状態が寂しい。自分がなくなった気分。それもそうだろう。ティーンの頃からずっと一緒にいた「自分」なのだから。寂しい。過去の自分を私は裏切ったのか。近頃そんなことを思っては、心の中で一筋の涙を流す。なんだか卒業式を終えた中学生みたい。
そんな風にひどく感傷的になってしまうのは、私が一生懸命だったからだ。あの時、おかしいと言われた。「病んでる」と言われるたびに「世間が病んでる」と言い返した。世間の言う常識とやらをそのまま鵜呑みにして、えらそうに大人のふりをしているみんながおかしいと思った。自分の気持ちを素直に表して生きるのってこんなに難しいんだって腹が立った。本当にいろんなことがあったし、いろんなことを考えたから全部は書けないけれど、あの頃の私がかけぬけた悩みは、これからを生きていく上でしっかりと考えなきゃいけないトピックだったと思う。不必要にウジウジしてたんじゃなかった。むしろあの時の自分は「なんにも間違ってなかった」。

なにが言いたいかっていうと、過去の自分が嫌だったからとか社会に適合できてないからと、自分を憎んで自分を変えたということではないってこと。ぶつかって削って磨いてを繰り返して結果、なりゆきで今の新しい自分ができあがっただけである。あの頃が辛かったとも思わない。一生懸命過ぎて、辛いとも思う隙もなかった。純粋で健気で尊かった。あの時の自分を、これからも大切に想ってあげたい。あの頃の自分が消えたんじゃない。あの頃の自分が新しい自分を作ってくれた。

社会にフィットしていることが正しいのか。精神科医が推奨する心のあり方が正解なのか。人が集まるから良い人なのか。それだけなんて、つまらないじゃないか。

でも、もう元には戻らないと思う。戻れないと思う。きっと私は本当にひとつ、年を取ってしまったのだろう。一つの成熟をとげた。確実に私の青春は終わった。かけぬけた青春は一瞬だった。そんなことで悲しむなんて若いねと人生の先輩に言われそうだが、悲しいものは悲しいんです。
星野源の「アイデア」という新曲は、陽の自分と陰の自分を掛け合わせてできたものであり、どちらの自分も自分であると星野はインタビューで語っている。彼は、どちらかの一方だけに偏らない。肯定も否定もしない。両者の気配を感じ、新しいものを作り出す。新しい自分に不慣れでくすぐったい自分がいるのは事実ではあるが、私も「過去の自分」と「今の自分」両方を包みそれを越えて、見たことのない未来を奏でていきたい。

 

人間は歩く金なのか

 

「うつで休職中の人が、友だちと遊んでるのを非難してくる奴の意味がわからないな。うつ中に遊ぶこと、私はメリットしか思いつかない。」という数年前の文がツイッターの下書きに未だにある。

仕事を休んでもうすぐ2年になる。というか私は総じて仕事を1年続けたことがない。もちろん就職もしたことがない。半年ほど働いては、半年休むということを繰り返しているのでフリーターの風上にも置けない。そんな感じの生活をして来たので、どうも悠々自適な暮らしをしていると思われるらしく「働かんでいいなぁ」「私もニートになりたい」という言葉をそれはもう数えきれないくらい頂いてきた。その度に罪悪感を感じる自分がいた。

何をおっしゃいますやら。無職で不安を感じない人間っているんか。不安に決まってるんですけれど。悩むに決まってる。むしろ無職の時期に将来を心配するのは地獄といっても良い。このような言葉をかけてくる人は全く責任感なく言ってくるので、相手にしなくていいですよ。その人に生活費を払ってもらっているわけでもないし面倒を見てもらっているわけじゃないのだから。労働するにしても労働しないにしても、決めるのは自分だし、どちらを選択しても返ってくる結果やリスクは直接自分に戻ってくるのだから。事情も知らず軽口を叩く人の意見は無視が鉄則です。

今回、休んでいる期間にこれからのことを考えてはみた。とりあえず自分の目標として長く続けられるものがいいというのが切実な願いであり、そのためには無理なくできるものがいい。無理なくできるものと言ったらやはり頂くお給金も少なくなる(ものが多い)し、「お金 」と「無理なくできるもの」のバランスを考えながらいくつか候補は挙げてはみた。あと新しいジャンルのことにはあまり手を出さないでおこうという制限もかけてみた。それは手を出し尽くした感があった。
いくつかの候補のなかに、「いままでやって来た一番好きなこと」を続けるという選択肢も一応はあった。でもいままでやって来た一番好きなことは、これから先細り感しかなく業界でも苦戦の声が聞こえてくる。ニーズもあまりない。飽和し過ぎてしまった業界であることは間違いない。そして輪をかけて才能もない。才能や技術がないのが手伝って、余計金にならない。金にならないと思うと、生活していけない、生活していけないとなると価値がないと思い、選択肢から外そうとも思ったし何よりやる気になれない自分がいた。そう、私は根性がない。

いままでやって来て一番好きなことに価値がない、と思い始めると、気持ちに張り合いがなくなる。いままでやって来た大事なものをゴミに変換すると気持ちもクズになる。「もうお金にならないし一番好きなことをやるって難しいよね〜」なんて周りに漏らしていた。
と、自分がジトジトしていた頃、テレビでセブンルールという番組を偶然見ていたらタスカジという会社の人が特集されていた。タスカジというのは、家事代行マッチングサービスのことである。言わば家政婦さんの働く職場で、家事代行業者を介する必要がなく家政婦さんに出会えるという。掃除、料理、チャイルドケアなどジャンルごとに得意な人が所属していて、働くのに登録するのも簡単、依頼するのも気軽に探せるらしい。家政婦とは書いたが男性も登録もできる。番組で放送されていた働く家政婦さんたちは生き生きとしていたし、みんなが意見を出しあって大事なことを決める、一人一人の働き手が重んじられている様子だった。そしてマネージャーの鈴木さんは主婦稼業をやりながら働くことの大変さをとても理解していて、「なにげなくやっている主婦業でも、よく見るとすごいスキルを持っているんだから後ろに引っ込まないで自信をもっと持って欲しい」という言葉が印象的だった。
まず家政婦さんを頼めるなんてどこのセレブがやるんだよ、ざあますマダムが頼むものでしょというイメージだったのであんまり大きな市場ではないと思っていた。びっくりしたし、自分が毎日当たり前のようにやっている日常のことがお金という価値に変換されているのを目の当たりにして、自分の心のサビが取れたような気がした。

「ものは考えようやな」と思った。まず自分がやって来た一番好きなことは、価値のないことなのだろうか?自分が日常的に当たり前と思ってやって来たことがお金にならない、イコール、価値がないと思うのは、それは果たして本当だろうか。真理なのだろうか。自分が生きてきて身につけてきたことは価値のないことなのだろうか。そんなふうに思い直すようになった。もしかしたら自分の中に宝が眠っているかもしれない。もし自分だけが大切にしていてみんなが軽視しているものを続けたとする。いつかお金に変換されたらカードがひっくり返ったように、みんな手のひらを返して私を評価するだろう。その大切なものも評価されるだろう。お金に変換されるのが、みんなが一番分かりやすいからただの評価基準としてただ重きを置かれるのであって、絶対的な基準ではない。お金に変わるのは後づけであって自分の大切なものは、純粋に大切なものである。それを完全に忘れていた。自分の悩んでいる働き方も、やりやすい方法を見つけて出力していけば、みんながアクセスしやすい方法になる可能性も高いし、自分がやって来た一番好きなことを一回腰を据えてやってみようか、という気持ちになったのである。

ということで、自分がやって来た一番好きなことが、趣味で終わろうと仕事になろうと変わらず大切にしようと私は思った。自分の大切なものは、大切なものなんだから。
自分の信じるものを周りに決めさせてはいけないし、相対的な評価で決め始めるとあっけなくそれは崩れやすく脆いものになってしまう。自分の信じるものは、時間をかけて大切に磨いていけばいい。ということで最近、少しずつがんばっています。

そして考える時間の余裕が与えられていることは感謝しても感謝しきれないです。助けてくれる周りに頭が上がらない毎日です。この部分は「恵まれている」とボッコボコに叩かれても言い返す言葉もない。

 

最初にうつ中に遊ぶことにメリットしか見出せない、と書きましたがマジでメリットしか思いつきません。外に出かけて人と待ち合わせて話すことが、時間が不規則な生活をしがちな患者の社会復帰への一歩になるというのが非難する人には分からないんでしょうね。あとうつの人って夏休みのようなバカンスを取って、好き放題遊んでる自由な人ではないですからね。実際は、体もしんどいし不自由なことも多いし制限だらけの生活ですから。そこをはき違えてわけのわからん軽口を叩かないであげてほしいです。