デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

ピアノ教育に興味がある

 

 

 

「ごきげんいかが?どんな服を着ているの?お通じはまだいいかい?快く仲直りをしてくれない?さもないと、ぼくの名誉にかけて、バーンと一発やらかすぞ! どうせきみは笑っているな―万歳(ヴィクトリア)! 僕らのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!」


モーツァルトの手紙より

 

最近、ピアノ教育に興味がある。

というのは、クラシック界に名を残したスター達はどう考えても社会に適合できないクソダメ人間が多かったからだ。音楽がなければただの人、というよりは音楽がなければ人として終わってるという感じ。

彼らには豊かな才能と突出した集中力があったに違いない。彼らは特別な人間であって我々のような凡人とはかけ離れた存在だ、と言われればそうなのかもしれないが、果たしてそうなのだろうか。

私は19歳くらいまでピアノを習っていたが、ピアノって毎日、何時間もやらないと上手くならない。当然私はできなかった。子どもが毎日何時間も同じことをやり続けるのは結構至難の業だと思っていて、やり続けることはできたとしてもモチベーションを保つのもまた更に至難の業。彼らの親はどういう教育を施していたのだろう。(パワハラ的な世界があったにはあったのだろうが)

私は彼らの中にはADHD的気質を持っていた人達が結構いると思っていて、数奇というか苦労の耐えない人生を送りながらも、一つのことを続けてきたというのは、彼らを見習って真似できることがたくさんあると思う。

 

楽家達のクソダメエピソードを聞いていると、「できる人」というのは「どこかが欠けている人」なんだと思う。そう言われてみれば私自身、周りのできる人で全てが完璧な人を見たことがない。

まずできる人というのは何だろう。できる人の定義はたくさんあるのだろうけど、どの定義のできる人であれ共通しているのは、「続けることができる人」「辞めどきを知っている人」だと思う。あんまりやる気だの根性だのは関係ない気がする。

できる人は、まず休むのが上手い。自分を甘やかすのがとても上手い。あと結構自分勝手な人も多い。「なにかが欠けていることに躍起にならない」。足し算より引き算思考の傾向が多い気がする。やる気と根性、完璧主義は最も遠ざけていいものだと思う。 

 


自己啓発的な本で、やる気を鼓舞する本はたくさんでてるけれど、もっと「良い休み方」「手の抜き方」「上手いサボり方」とかそういうテーマに焦点を当ててみた方がいいと思う。「できるとアッパラピーな生き方の両立」とか。やる気なんて大概の日本人はあるって。真面目な方だって。

尊敬する人がいたら、その人の仕事のやり方だけを真似するんじゃなくて、その人の休み方やダメな部分も観察したほうがいい。と思いますよ。

 

 

かなり駄文にはなってしまったが、映画「シャイン」を見ていたら、ふとそんなことを思ってしまったのである。(シャインは天才ピアニストデイヴィッドの人生を描いた実話映画。興味がある人はぜひ)この映画を見てると幼い時の自分を見てるようで辛かったし胸糞悪いのオンパレードだったのだが、ラストの方でいい風になっていく。デイヴィッドは精神が崩壊することでそれまでの何かが「欠けた」。そこから本当の自分を取り戻していく。ラストに注目して見てもらいたい。