祖母
3月31日、祖母が亡くなりました。
ここ数年、小さい頃のことを思い出すのが嫌でしたし、自分の嫌な所は彼女からきっちり受け継いでいるので、自分を映す鏡のようで、祖母とは極力会わないようにしていました。正直憎んでいたというか恨んだりしていました。なので、亡くなっても物思いにふけるようなことはないと思っていました。
でもいざこうなってみますと、私が一本の木とするならば、年輪の一層として、祖母と過ごした時間は私の体内に張り付いており、それは剥がすことができず、忘れることも抹消することもできず、人間の深い業のようなものを感じました。
あれだけ恨んだり汚い感情でいっぱいだったのに、「死」という行為は何かを洗ってくれる力、そんな役割があるのかもしれません。
祖母は元気な頃、よく「月末までに落とし前をつけたる」と言っていました。その意味は完全には理解できませんでしたが、いく先々で、問題を作ってくるのでそのことに対して息巻いていたのでしょう。とにかくいつも「新しい自分」でありたい人でした。
「月末に落とし前をつける」ように3月31日、年度末の一番最後の日、祖母は亡くなりました。
安らかに眠れなんて言いません。天国というものが存在するのならば、彼女はまた方々で騒ぎ回るのに決まっているのだから。墓から出てきたら苦笑しますが…それもやりかねないような豪快な人でした。
このことを文にするのかは、迷いましたが、祖母は私の描いた絵や文を喜ぶ一人目のファンでしたので、書くことにしました。私の文化的嗜好の派手さは、彼女から受け継いでいるところもきっと、あるのでしょう。
もうあなたが運転するカローラには乗れないんだね。
こんにゃく入りのカレー忘れません。
今までありがとう。さようなら。