デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

どうすればいいですか

 

 

私はよく怒るので怒らないためにはどうすればいいかなと、ここ最近少し考えてみましたが、怒りの矛先が「人への攻撃」に向かないだけまだマシかなという結論に至りました。怒らないのが一番いいんですけども。

 


大体人を怒らせてるような内容は大体みんなも同じように不快になるので、自分の怒りを第三者に訴えるとき、「自分を怒らせてる人のレベルまで下げない」ということが大事なんだと思います。怒らせてる人のレベルまで自分が下っていってしまうと大体周りの人も結果的に不快させることになるので。それが怒るときに気をつけるポイントなんだと思います。

 


なぜ自分は怒りやすいのか。それはストレスと周囲への恐怖心、被害妄想から来ると思うのです。周りが怖い人というのは結局自分に自信がないので、怒ることで自分を守るという戦法を使いがちになる気がします。今日はなぜ自分が怒るのか、その理由をメモしておきたいと思います。

 


怒るというのは、相手への誤解から生まれることもたくさんあるのでこのメモ自体、不快にさせると思うので、読み進められる方はそこは鵜呑みにせず私へ半信半疑の思いを持って読み進めてほしい。

 


(1)常時持っているストレス

一つのガスコンロがあったとする。ガスコンロはネジを開けると強火になり閉めると弱火になる。人はガスコンロを調節することが出来る。火が強すぎると弱火にする、火事になる前に火を止める。それを無意識的に調節していると思う。が、私にはガスコンロのネジが付いておらず、気を抜いてしまうとすぐに強火になりやがて火事になり、ガスは使い果たされ再起不能に近くなる。コンロを修理しガスを注入するのに時間がかかる。修理される度にコンロ自体も老朽化していく。ということが頻繁に起こるので、このガスコンロを常に弱火に保つため、自分というガスコンロを常に監視しとく必要がある(=やる気を出さない、テンションを上げない)。基本的に私はやる気があるタイプだし、やりたくないことにやる気を出すなと言われたらそりゃ願ってもないと喜ぶ人もいるかもしれないが、楽しいこと・やりたい事にもやる気を出すなと言われたら困るのではないでしょうか。とにかく自分の行動の一つ一つに「やる気が出過ぎていないか」ともう一人の自分が24時間体制で鞭を持って見回りしているので、ストレスは溜まる。が、それをしないとすぐガスコンロは強火になり、火事を起こすので自分の監視体制を外すという選択肢もなく、自分のやってることが正解なのかやりすぎてないかと常に自分に対して半信半疑の気持ちを抱いているので、そりゃ自分を認めてないことに等しい。ゆえに自然とストレスは溜まる。気が狂いそうになる。

 


(2)対人関係のストレス

何が普通かなんて基準はないし、私自身が見た普通なので、話半分に聞いてほしいが、「普通」を装うのにやはり必要以上に力を使っている感覚はある。普通の生活なんてないのかもしれないけど、立って生活をすることがしんどい時がある。フラフラしたり電池が切れたように眠り続けたり吐いたりするのが日常茶飯事ではある。

自分的には不便な生活をしているとは思うが、私は「自分だけが辛く、自分さえ良ければいい」という方向にはいかなかった。そういう人もいるし、それはそれである種の防衛反応だと思うのでそれも否定はしない。しかし「自分が出来ないことが多い」「生活が不便に感じることが多い」ということを踏まえて、「(他)人も辛い思いをすることがあり、自分とは違うかもしれないけど出来ないことに悩むことがある」という風に考えるようにはなった。なので、自分の気を抜いて話したことが、他人のしんどさの核を突いてしまって傷つけてしまったらどうしようと、妙に気を遣いすぎることがある。(後述する(4)のようなことがあったので。)人と話すのに気を遣い過ぎて頭が爆発しそうになるときがある。そしてたまにその気の使い方が間違ってキツイ言い方をされたり、気遣いを無下にされるような行動を取られると、ひどく落ち込んでそれが怒りに変わることがある。が、人を傷つけてしまったり自分が傷つかないこともどんなに細心の注意を払ったとしても絶対になくならないことは分かっているので、仕方がないが、どうもピュアな私はその事実にも気を病んでしまうことがある。

 


(3)とにかく自分に自信がない

ここには何回も書いているが高校卒業してから、大学もやめてしまったし、バイトも続いたこともないし、無論就職もしたことがない。結婚もやめてしまった。自分に人生の変数を増やすと、ガスコンロの調節が複雑になるのでなるべく変数を増やさないようにしようと、ある時から決めた。しかしなんにも完遂してこなかった自分に自信がなく、完遂できなかったことも自分の中では納得した理由はあるにはあるので自分に自信を持てばいいものの、とにかく人との世間話で出てくる学歴・仕事・結婚・出産の話で最近は非常に落ち込みおっくうになることが多い。相手はそんなつもりは一切ないのに、できなかった自分を思い出してみじめになる。例えば受験の話になると大学に落ちた自分を思い出すし、正直、大学受験からやり直して自分の名誉を挽回すればいいのか、とさえ思うほどである。世間話においても、「仕事をしているのが普通」「長年付き合った恋人と結婚するのが普通」という常識が根底に流れており、その普通に合わせて話するのが辛い。どこか出かけても「今日はお仕事お休みですか?」と挨拶のように尋ねられることが多々あり、「えへへ、まぁそんなものです」とは流している。流すしかない。しかし世間に対して嘘の笑いでごまかす自分が、自分自身をも嘘の笑いで流し、無下にしているような気分になり、虚しくなる。世間の一般的な感覚を恨んでるのではなく、それを出来なかった自分を結局は恨んでいるのであり、周りは何も悪くない。何も完遂出来ていない自分を一番嫌っているのは、結局は自分なのである。

自分を認めてあげるのには、自己肯定感を高める作業が必要になってくるのであろうが、学歴も仕事も社会的な役割がなに一つない状態から自己肯定感を育むのは結構、難しい。

ということで何か自信を取り戻す必要性を感じているため、自分なりにもこれからの人生をどうしていこうかは真剣に考えてはいるものの、このガスコンロを調節している間に体調を崩すことが多く、なかなか人生を進めていくことが頓挫になってしまい、さらに凹むという次第である。ゆえに「何もしてない人」と思われるのが怖く、人付き合いにおいて抑圧した自分を感じるのは否定できない。

 


(4)実際にひどい人がいたり偏見があった

体調が悪くて予定をキャンセルしたら「あなたは私の時間を無駄にしている」と長文のメールを送ってくる人がいたり、とあるシングルマザーから「あなたは親の脛をかじって生活をかけて働く必要がなく楽をしている」とこれまた長文のメールが来たり、障がい者手帳を申請するかもしれないと言ったら「交通費とか援助してもらえるからラッキーだね」とか言ってくる人が実際にいた。自分自身が体の苦痛と戦っているのに、こんな暴言を吐かれるこちらの身になってくれよ。まあ世の中にはひどいことを言ってるつもりがなくても、人の心に深く傷を残す人がおり、思い出すたびに私の怒りを掻き立てるのも事実である。

 


長く書いたけど、とにかく今現在、(1)で述べたガスコンロの調節が大分とキツく、私の心を退廃的というか狂気的な気分にしている。それゆえストレスが溜まると、火に油をそそぐように、怒りが燃えたぎるという形になる。正直コンロを調節してもしても、光の見えない生活に疲れてしまった。でもこの調節も板についてくると、きっと平常心でいれる時間が長くなってくると思うので、今まで完遂できなくて悩んでたことも一つ一つ完遂できるようになるだろうし、まあ、疲れるけれど、生きている限りは諦めないでやり続けようとは思う次第ではある。

もう全てが手遅れのような気もするが。


心穏やかに暮らしたい。