デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

青春が終わった瞬間


今から書くことはきっと若さゆえのことだと思われるかもしれないが、自分の中で大切なことなので書いておく。

昨年の夏に自分の性質に対して行き詰まりを感じてから、この一年自分を失くすトレーニングをたくさんやってきた。一年間トレーニングすると決めたわけではない。やっているうちにあっという間に8月になってしまった。その結果、おだやかな日々が次第に訪れ、きっとみんなの言う「安定した生活」「健やかな暮らし」が出来ていると思う。私を支えてきてくれた周囲の近しい人達は負担を背負うこともなくなったし、きっと私に振り回されていることによって生じていた緊迫した時間もかなり減ったように思う。周りにも安寧の日々が訪れたのだ。一つのことに対して俯瞰してものごとをみれるようになったと思う。体調も安定してきた。友だちも増えた。臆することなく世間話もするようになった。丸くなった。要は何事も腹八分を覚え、行き過ぎたことにはブレーキをかけ、オブラートに包むということを知った。

そんな状態が寂しい。自分がなくなった気分。それもそうだろう。ティーンの頃からずっと一緒にいた「自分」なのだから。寂しい。過去の自分を私は裏切ったのか。近頃そんなことを思っては、心の中で一筋の涙を流す。なんだか卒業式を終えた中学生みたい。
そんな風にひどく感傷的になってしまうのは、私が一生懸命だったからだ。あの時、おかしいと言われた。「病んでる」と言われるたびに「世間が病んでる」と言い返した。世間の言う常識とやらをそのまま鵜呑みにして、えらそうに大人のふりをしているみんながおかしいと思った。自分の気持ちを素直に表して生きるのってこんなに難しいんだって腹が立った。本当にいろんなことがあったし、いろんなことを考えたから全部は書けないけれど、あの頃の私がかけぬけた悩みは、これからを生きていく上でしっかりと考えなきゃいけないトピックだったと思う。不必要にウジウジしてたんじゃなかった。むしろあの時の自分は「なんにも間違ってなかった」。

なにが言いたいかっていうと、過去の自分が嫌だったからとか社会に適合できてないからと、自分を憎んで自分を変えたということではないってこと。ぶつかって削って磨いてを繰り返して結果、なりゆきで今の新しい自分ができあがっただけである。あの頃が辛かったとも思わない。一生懸命過ぎて、辛いとも思う隙もなかった。純粋で健気で尊かった。あの時の自分を、これからも大切に想ってあげたい。あの頃の自分が消えたんじゃない。あの頃の自分が新しい自分を作ってくれた。

社会にフィットしていることが正しいのか。精神科医が推奨する心のあり方が正解なのか。人が集まるから良い人なのか。それだけなんて、つまらないじゃないか。

でも、もう元には戻らないと思う。戻れないと思う。きっと私は本当にひとつ、年を取ってしまったのだろう。一つの成熟をとげた。確実に私の青春は終わった。かけぬけた青春は一瞬だった。そんなことで悲しむなんて若いねと人生の先輩に言われそうだが、悲しいものは悲しいんです。
星野源の「アイデア」という新曲は、陽の自分と陰の自分を掛け合わせてできたものであり、どちらの自分も自分であると星野はインタビューで語っている。彼は、どちらかの一方だけに偏らない。肯定も否定もしない。両者の気配を感じ、新しいものを作り出す。新しい自分に不慣れでくすぐったい自分がいるのは事実ではあるが、私も「過去の自分」と「今の自分」両方を包みそれを越えて、見たことのない未来を奏でていきたい。