デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

人間は歩く金なのか

 

「うつで休職中の人が、友だちと遊んでるのを非難してくる奴の意味がわからないな。うつ中に遊ぶこと、私はメリットしか思いつかない。」という数年前の文がツイッターの下書きに未だにある。

仕事を休んでもうすぐ2年になる。というか私は総じて仕事を1年続けたことがない。もちろん就職もしたことがない。半年ほど働いては、半年休むということを繰り返しているのでフリーターの風上にも置けない。そんな感じの生活をして来たので、どうも悠々自適な暮らしをしていると思われるらしく「働かんでいいなぁ」「私もニートになりたい」という言葉をそれはもう数えきれないくらい頂いてきた。その度に罪悪感を感じる自分がいた。

何をおっしゃいますやら。無職で不安を感じない人間っているんか。不安に決まってるんですけれど。悩むに決まってる。むしろ無職の時期に将来を心配するのは地獄といっても良い。このような言葉をかけてくる人は全く責任感なく言ってくるので、相手にしなくていいですよ。その人に生活費を払ってもらっているわけでもないし面倒を見てもらっているわけじゃないのだから。労働するにしても労働しないにしても、決めるのは自分だし、どちらを選択しても返ってくる結果やリスクは直接自分に戻ってくるのだから。事情も知らず軽口を叩く人の意見は無視が鉄則です。

今回、休んでいる期間にこれからのことを考えてはみた。とりあえず自分の目標として長く続けられるものがいいというのが切実な願いであり、そのためには無理なくできるものがいい。無理なくできるものと言ったらやはり頂くお給金も少なくなる(ものが多い)し、「お金 」と「無理なくできるもの」のバランスを考えながらいくつか候補は挙げてはみた。あと新しいジャンルのことにはあまり手を出さないでおこうという制限もかけてみた。それは手を出し尽くした感があった。
いくつかの候補のなかに、「いままでやって来た一番好きなこと」を続けるという選択肢も一応はあった。でもいままでやって来た一番好きなことは、これから先細り感しかなく業界でも苦戦の声が聞こえてくる。ニーズもあまりない。飽和し過ぎてしまった業界であることは間違いない。そして輪をかけて才能もない。才能や技術がないのが手伝って、余計金にならない。金にならないと思うと、生活していけない、生活していけないとなると価値がないと思い、選択肢から外そうとも思ったし何よりやる気になれない自分がいた。そう、私は根性がない。

いままでやって来て一番好きなことに価値がない、と思い始めると、気持ちに張り合いがなくなる。いままでやって来た大事なものをゴミに変換すると気持ちもクズになる。「もうお金にならないし一番好きなことをやるって難しいよね〜」なんて周りに漏らしていた。
と、自分がジトジトしていた頃、テレビでセブンルールという番組を偶然見ていたらタスカジという会社の人が特集されていた。タスカジというのは、家事代行マッチングサービスのことである。言わば家政婦さんの働く職場で、家事代行業者を介する必要がなく家政婦さんに出会えるという。掃除、料理、チャイルドケアなどジャンルごとに得意な人が所属していて、働くのに登録するのも簡単、依頼するのも気軽に探せるらしい。家政婦とは書いたが男性も登録もできる。番組で放送されていた働く家政婦さんたちは生き生きとしていたし、みんなが意見を出しあって大事なことを決める、一人一人の働き手が重んじられている様子だった。そしてマネージャーの鈴木さんは主婦稼業をやりながら働くことの大変さをとても理解していて、「なにげなくやっている主婦業でも、よく見るとすごいスキルを持っているんだから後ろに引っ込まないで自信をもっと持って欲しい」という言葉が印象的だった。
まず家政婦さんを頼めるなんてどこのセレブがやるんだよ、ざあますマダムが頼むものでしょというイメージだったのであんまり大きな市場ではないと思っていた。びっくりしたし、自分が毎日当たり前のようにやっている日常のことがお金という価値に変換されているのを目の当たりにして、自分の心のサビが取れたような気がした。

「ものは考えようやな」と思った。まず自分がやって来た一番好きなことは、価値のないことなのだろうか?自分が日常的に当たり前と思ってやって来たことがお金にならない、イコール、価値がないと思うのは、それは果たして本当だろうか。真理なのだろうか。自分が生きてきて身につけてきたことは価値のないことなのだろうか。そんなふうに思い直すようになった。もしかしたら自分の中に宝が眠っているかもしれない。もし自分だけが大切にしていてみんなが軽視しているものを続けたとする。いつかお金に変換されたらカードがひっくり返ったように、みんな手のひらを返して私を評価するだろう。その大切なものも評価されるだろう。お金に変換されるのが、みんなが一番分かりやすいからただの評価基準としてただ重きを置かれるのであって、絶対的な基準ではない。お金に変わるのは後づけであって自分の大切なものは、純粋に大切なものである。それを完全に忘れていた。自分の悩んでいる働き方も、やりやすい方法を見つけて出力していけば、みんながアクセスしやすい方法になる可能性も高いし、自分がやって来た一番好きなことを一回腰を据えてやってみようか、という気持ちになったのである。

ということで、自分がやって来た一番好きなことが、趣味で終わろうと仕事になろうと変わらず大切にしようと私は思った。自分の大切なものは、大切なものなんだから。
自分の信じるものを周りに決めさせてはいけないし、相対的な評価で決め始めるとあっけなくそれは崩れやすく脆いものになってしまう。自分の信じるものは、時間をかけて大切に磨いていけばいい。ということで最近、少しずつがんばっています。

そして考える時間の余裕が与えられていることは感謝しても感謝しきれないです。助けてくれる周りに頭が上がらない毎日です。この部分は「恵まれている」とボッコボコに叩かれても言い返す言葉もない。

 

最初にうつ中に遊ぶことにメリットしか見出せない、と書きましたがマジでメリットしか思いつきません。外に出かけて人と待ち合わせて話すことが、時間が不規則な生活をしがちな患者の社会復帰への一歩になるというのが非難する人には分からないんでしょうね。あとうつの人って夏休みのようなバカンスを取って、好き放題遊んでる自由な人ではないですからね。実際は、体もしんどいし不自由なことも多いし制限だらけの生活ですから。そこをはき違えてわけのわからん軽口を叩かないであげてほしいです。