デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

呪われた一族

 

 

ここ2、3年で「表情が柔らかくなったね」と言われることがある。
自分でもそう思う。20代の頃の切れたナイフのような顔つきから、どこか平和ボケのような諦めのようなぼんやりとした顔つきをしている。


10代の頃の私は、親戚に「ブスになったね」と言われていた。幼少期の美少女だった私は跡形もなくなり、鈍臭そうなブスになって親戚を失望させてしまった。でも言いたいことはよく分かる。私は苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思う。あの頃は、家族が要求してくる希望を黙って受け入れ、我慢していた。当時は自分の気持ちと向き合うということを知らなかったので、自分が我慢しているとも思っていなかった。しかし無意識のうちに、顔には出ていたのだろう。20代になってようやく自分の意思を通していいんだということに気づき、パンパンの怒りの塊で全てに反抗し、常に戦闘モードだった。結果、尖った顔つきになってしまった。

今は、とても幸せ!!!色々失敗を繰り返した結果、自分や他人へ思い入れがなくなった。だから期待していた人の悪い所を見つけて、失望することが少なくなった。全ての人にはそれぞれストーリーがあって、その結果その人オリジナルの考えを身につけるのだから、価値観が違っても人の考え方を否定したり攻撃すること自体がおこがましいし、少しはニュートラルに生きれるようになった気がする。その時カッとなって怒っても、大概は流すことができる。怒りのない生活ってなんて幸せなんだろう!これこそが年の功なのね!!!最高!!!!!だったはずなのに………。
最近「家族をつくる」という人生のニューイベントがあり、穏やかな私はどこ吹く風、年末からずっと怒っている。年の功で身につけた「忘れる」という武器を持ってしても、今回は怒りに勝てないらしい。普段は忘れているけれど、家族をつくるニューイベントを進めていくうちに出てくる事務的な手続きが、日々の生活にチョイチョイと出てくるので、その度に思い出してイライラしてしまうのだ。
何に対して我は怒っているのか。私は、私がやらなければ達成しない私ありきの将来の希望を押し付けられたり、押し付けられていなくても軽くフワッとでも言われた途端、拒絶反応を示してしまうのである。その希望が矛盾に満ちた論理だったりすると、矛盾の度合いに比例して嫌悪感が高まっていく。責任感のない発言とみなしてしまうのだ。自分がどれほどの整合性を持って生きているのか、自分だって矛盾に満ちた生き物ではないか、と突っ込みたくなるが、家族が要求してくる希望には、見境なく全力で拒否するーーー20代の私は、未だ健在でした。

 

私は怒ると人の何十倍も燃えて怒ってしまうみたいだ。色んな人を見てきたけれど。多分みんな、怒ってもそんなに燃えてないしあんまり気にしていない。私は、燃えカスになるまで、怒って考えてしまう。そして体調が悪くなってしまう。どうしてそんなに怒ってしまうのか。怒りのエネルギーは体に毒で、怒れば怒るほど自分が損なだけなのに。私はどうしてそんなに怒るのか?

 

私はよく夢を見る。夢の内容は、祖母になじられるか、父に殴られるか、両親と弟に苛められる夢、受験会場に間に合わない。この4つのネタを元に作られた夢を頻繁に見る。何を話しても不機嫌になり私を支配しようとする祖母・躾だと勘違いし殴りまくる父・鈍臭い私とは違って要領のいい弟…どれも日常であったことなのだが今はそこそこに暮らしているし、家族だって申し訳なく思っているし、もういいじゃないか…と思っているのに、忘れた頃に夢に出てくるのだ。目覚めた時の後味の悪さよ。イケメンとデートする夢とか見たいよう。

私の父方の祖母も、父も怒りを原動力に生きている人だったと思う。番犬のように吠えまくり、そして人を恨み続ける。人にされた嫌なことは絶対に忘れない。よく言えば、それをパワーに自分の仕事を全うして来たように思う。同級生や近所の人の中で、祖母はなり振り構わず怒るイタいばあさんだった。クソババア。学校に来られるだけで恥ずかしかった。怒って威張り散らして、なんになるのか。ああ恥ずかしい。こんな親にはならないぞ。自分の子どもは放任主義を貫いて、優しく微笑む母親になる。とにかく軽蔑していた。

 

最近、私は漫画でも読んでリラックスしようと彼氏の本棚から漫画を拝借した。適当に手に取った本は、育児漫画だった。おもしろかった。子どもは持たないつもりだが、育児っていいのかも、ほっこりハッピーとさえ思った。ほっこりハッピーのまま、その日は眠りについた、のだが…。
その日見た夢には、自分の子どもと思しき4歳くらいの双子と育児を手伝ってくれているという設定の母が出てきた。母が、私の気に入っている家具が配置的に双子が危ないと思って、移動させたらしい。そして私のお気に入りの家具に双子が落書きしている。それを見た私は、怒りが瞬間湯沸かし器のようにメラメラと湧き、その場にあった椅子を力づくで真っ二つに割り、割れた椅子で母と双子を血塗れになるまで怒鳴りながら殴っていた。自分の怒鳴り声で目が覚めた。家具を勝手に移動され、自分が美しいと思う景観を崩されて怒り、家具に落書きされるなんてもってのほかだったのだろう。そして「家族をつくる」というニューイベントで感じた怒りが夢に反映されたのだろう。私は「家族をつくる」ことに、自分が思っている以上にセンシティブになっているのだと思う。

きっと私は、自分の子どもに夢と同じことをしそうな気がする。血まみれになるまで殴らないとしても、罵倒くらいしそうだ。優しい母親像はどこに行った。祖母と父と一緒ではないか。自分はかわいそうな被害者だと思っていたのに。私はきっと「怒りの一族の血」をきっちり引き継いでるのだ。そう思ったらなんとなく腑に落ちた。過去のことで夢にうなされるのは、きっと潜在的に家族をまだ恨んで怒っていて、最近のこともすごく怒っていて、怒りという感情に支配されやすい人間なのだろう。恨みと怒りに支配される一族。まるで呪われた一族ではないか。
そう思うと祖母も父も鬼のようでいて、意外とセンシティブな所があったのかもしれない。抑圧された何かがあったのだと思う。抑圧され、破裂して周囲に当たり散らす。そんな気がする。私は、何もできないダメな人間だけれど、祖母や父のように体力があって仕事が出来る人間だったら、きっと部下にえらそうに怒鳴り散らしたり、色んな所で噛み付いてたんだろうな。私は自慢しいだからきっとそうしてただろう。何もできない無力な人間で良かったのかもしれない。

 

もう怒るのは仕方ない。でも省エネで怒るにした。出来ているのかは分からないけれど「省エネで怒ろう」と唱えるたびに、自分が「今現在怒っている」と自覚できて、気持ちがスッと軽くなるのだ。上手く説明できないけれど、沸騰させたお茶のヤカンを桶の水へ付けて、少し熱をとる感覚に似ている。省エネという言葉も気に入っている。私を怒らせたバカな人間のために、膨大なエネルギー割いてる自分はアホだと思えるのだ。「省エネで怒ろう」は最近の私の呪文となっている。

 

とまぁ、怒りに呪われた一族の出である私ですが、グズるのが酷い赤ちゃんを扱うように、私がお腹が減ると自らの乳を出してミルクを与え、私の心が冷えるとこれまた、自らの乳を絞り出して温かいミルク風呂を作って私を沐浴させ、私が夢にうなされると必死で頭をさするという、母牛のような人が現われましてここ3年くらいで少し角が取れた気がします。
母牛のような人のためにも、怒りをなるべく少なくして思い悩むことを少なくしたいと思います。きっと「家族をつくる」ことで怒っている私に今現在、すごく気を使わせていると思う。板挟みで悩んでいると思う。母牛のような人よ、ごめんなさい。

 

怒ってしまうのは仕方ない。呪われた一族の出なのだから。必要以上に怒って自分の中に溜め込んでしまう人はたくさんいると思うのですが、周りに当たり散らしていないだけでも自分を褒めてあげてください。怒りへの良い対処法を見つけたら教えて欲しいです。私も見つけたら、またここに書きます。なんか、前向きで明瞭な解決策がなくてごめんなさい。

あ、でも怒りを抑えれば抑えるほど、友だちは増えるし、自分を癒してくれるようなおだやかな人に出会えるかも。「笑顔が多い人には人が集まる」というような、根暗な私には胡散臭いと思える言葉が好きになれないけれど、確かにそれは当たっているのかも…。しれません…。