デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

この夏のこと

 

「自分のことばかり考えちゃうのって辛いんだなと思いました。」と星野源がテレビで言ってた。星野源なんて今や日本国民全員が知っているので説明する必要もないが、彼は2012年クモ膜下出血をやった時、術後の集中治療室でそう思ったらしい。全身を固定され身動きが取れず、頭の向きさえ取れない間、自意識が爆発しそうになったらしい。クモ膜下出血をやったわけでもないし手術もしたことないけれど、ちょっと、その気持ち、分かる。ちょっと、想像できちゃう。私はこの夏、少しだけ同じような体験をした。ファンの人に星野源と一緒にすんなと怒られそうだけど。同じ脳でも畑違いではあるが、私のこの夏の地獄の体験記を書こうと思う。

 

今年の3月頃、私は妙に調子が良かった。自分でもびっくりするくらい元気だった。家事を完璧にこなし、ジムに通い、友人とも積極的に会っていた。その前の冬は、冬眠中の熊みたいに寝込む日が多かったのに、冬の出来事が嘘みたいに元気だった。元気過ぎて怖かった。読んでくれている人は「元気なのは良いことじゃん、何も問題ないじゃん」と思うだろう。覚醒剤をやったようなハイ状態に似ていたと言えば、ちょっと想像し易いだろうか。実際、友だちと話しているうちに、アドレナリンがどんどん出ていくのが自分でも分かった。ハイな自分は、上機嫌で饒舌だった。頭が高揚してクルクル回り続けてそれは止まらなかった。なので、ちょっとヤバいんじゃないかと思い始めた。ということで、行きつけの精神科に行った。躁状態なので、あんまりイベント事を入れないようにと言われた。躁状態に沿う薬が処方された。

 

5月。なんかエネルギーが切れて来た。エンストしかけの車みたいだった。家にいる生活が続いていたし、世間はゴールデンウィークだったので自分も気分転換がしたくなって、旅行に行った。行き先は神戸。三ノ宮や元町を散歩してホテルでゆっくりするだけの簡単な旅行だったけれど、もう随分と旅行もしてなかったので、かなり気分転換になったし、帰ったらまた頑張ろうと思った。帰ったら早速、派遣会社の登録をした。その意欲とは裏腹に、寝込むようになった。短時間であれど、近場なら出かけれたのにそれもできなくなった。人と会う約束も守れなくなった。ドタキャンしまくった。今から思えば、最後に残っていた数少ないエネルギーを旅行で使ってしまったのだろう。エンストしかけの車は、全く動かなくなった。

 

7月。そろそろ寝たきりの生活も飽きてきた。最初はNETFRIXで海外ドラマを見たりと、それなりに楽しんでいたが、ウンザリして来たのである。寝こむ生活は経験して来たので慣れたものだと思っていたが、こんなに身体が動かないのは始めてだった。外に全く出れなかったのである。というか、家の中を歩くだけで精一杯だった。お風呂にも入るのがキツかった。私は臭かった。

 

ベットで壁を見つめながら、ぼんやり思った。「今年は10周年なんだな」と。
10周年とは。結婚10周年でも歌手生活10周年でもない。精神科に通い始めて10年でしたんや。自分は結構数字に重みを感じるタイプらしい。病院には10年通い続けたが、私は10年何も続かなかった。周りは、やれ結婚だ、やれ出産だ、やれ転職だと騒いでる。いつもはデフォルトのように「自分は情けない、ダメな人間だ、私ってかわいそう」と嘆いていたが、今回は一味違った。この10年を、よくよく振り返ってみたのである。この10年、妙にテンションが高い時期があり、横柄な態度を取ってトラブルを起こしたり、事故を起こすことがあった。真夜中、寝ぼけて自転車を漕いで電柱にぶつかって怪我して目が醒めるみたいなこともあった。ハイな時期がしばらく続くと、次はいきなり寝込む時期に入るのだ。それを私は繰り返して来た。ハイな自分は正常で、寝込む自分は自分の根性が足りないんだと思っていた。よくよく冷静に考えてみると、そこには自分が制御できない「何か」があった。「何か」とは?ーーーそれは病気だ。10年経ってやっと自分と病気の構図が見えたのである。

 

今まで自分のことを病気だと自覚したことがなかった。ちょっと身体が弱くて気分が乱れがち、くらいにしか思っていなかった。病気だとしても風邪をちょっと引いたようなもんで、いつかは治るのだろうと思っていた。が、どうもそうじゃないらしい。持病ってやつらしい。どうも病気は、一生stayするっぽい。この状態が一生続くのならば、私はまともな一人の人間として社会で働けないのかもしれない、一般枠では働くのは無理があるのではなかろうか。知識としては知っていたけれど、精神障害手帳とか持つ、アレなんかもしれない。それは「障害者」ってやつなんじゃないのか。今まで縁遠いと思っていた「障害者」というワードが頭の検索キーワードのトップにランクインした。

 

そう思ったので、次の診察で先生に「私は障害者なのですか?」と聞いた。
先生は「それは分からない」と言った。
真意はよく分からなかったが、「違う」と答えなかったことが少し悲しかった。

 

障害者。それは学校で差別してはいけない・傷つけてはいけないと習ったせいなのか、社会が外面だけでも障害者に対して懐の深い所を見せているせいなのか。障害者だって普通の人間なんだし堂々と生きるべきだよ、差別しないよという人はいるでしょうね。いい人程、そう思うでしょう。私もその一人でした。当事者になるまでは。
当事者になった途端、私はなんだか社会から切り離されたような気分になった。この病気を背負って生きていくことが、重荷に感じたのだ。障害者でも幸せに笑顔で生きていこう、なんて思えなかった。私は悲しかった。まず、見た目になんの異常がない人間が、どう自分のことを説明しろというのだ。「脳に障害があります」と言ったら、多分ドン引きされるだろう。精神的な病気は、まだまだ偏見にまみれている。そんな世界を掻い潜っていける勇気も自信もなかった。
その時始めて、マイノリティな人々に対してオープンな態度を取っていた自分は偽善的だったのだ、と自覚したのでした。今から思えば、あれは偽オープンな態度だった。なんの理解もなかったんだと思った。接したこともないくせに、ただただ自分の理想的で自己満足的な態度を取っていただけだった。バカな健常者だった。

 

もう消えたいと思った。率直に死にたかった。首を吊って死のうと思った。でも、縄を買いにホームセンターまでいける体力がない。というか全身が痛い。オーノー。ということで、Amazonとかで自殺用の縄を調べ始めた。さっさとカートに入れて買えばいいものの、できなかった。結局、死ぬ度胸なんてなかったのだ。悶々とする日々が続いた。マイナスなことばかり考えた。自意識の爆発だ。外にも出れないし、出れたとしても20分くらいするとへばってしまう。新しい空気が入ってこなかった。八方ふさがりだった。

 

誰かに相談したかった。聞いてほしかった。でもドン引きされるだけだと分かっていたので、友人には話さなかった。メールでも明るく努めた。私は次第に、Googleの検索窓に「悩みを聞いて」とか「お悩み相談」とか打つようになった。Googleが話を聞いてくれるなんて、そこまで気は狂っていなかったが、検索窓だけは私を受け入れてくれるような気がしたのである。Googleは私の話を聞いてくれなかったが、お悩み掲示板というサイトをいくつか表示してくれた。私は、その掲示板を見るようになった。そこには色々な人がいた。子育てに悩む主婦とか、ピアノを買ってもらいたくて親にどう説得すればいいか悩む高校生など。実際にレスはしなかったが、私だったらどうアドバイスするだろう、と考えた。その時だけ、気が楽になれた。他人のことを考える時だけ、自分のことを忘れられたのである。
そのうち、私は人の相談に乗るようになった(電話やメールで)。インターネットで仲良くなった人やリアルの知り合い問わず。相談してくる人は、自分のことで精一杯なので、こちらを気遣うことなく間髪入れず話してくる。口を開くと、ダムが決壊したように自分の辛さがダダ漏れしそうだったので、この状況がすごく有り難かった。人の悩みが解決したら嬉しかった。困っている人に来てくれと言われると、そこにも行った。身体はしんどいはずなのに、その時だけは、外に出れたのである。人に微力ながらも寄り添っている時だけ、少し強くなれる気がしたのだ。自意識をちょっと横道に逸らすことが、功を奏したのだろう。

 

そうして、人の相談に乗っているうちに秋になった。私の体力は回復し、今現在、まだ働いてはないものの普通に生活できるようになっている。(薬がうまく調節できているのもあるが) そして、今、このクソ長い文章を書いている。今まで何か伝えたかったけれど、何を書けばいいか分からなかった。今、メッチャ書いてるやん。私の意識が変わったのだと思う。この夏、人が何を求めていて、何を返せばいいのかをよく考えたからだ。上手くは言えないけれど、自分対"自分"の世界に籠っていたのが、自分対 "人"になったからだ。目線の矛先が一つ増えて楽になったのだと思う。ちょっと前まで私は、人気を取らなければお金にならない仕事をしていたが、人が何を考え 求めているかピンと来なくて、結構苦戦していたが、あの時分からなかったことが、今なら少し分かる気がする。

 

こんな長ったらしい文章、自分でも疲れるから書きたくなかったが、今年の夏のことはどうしても記録に残したかった。人は、健康になると調子に乗る。しんどかったことを忘れる。小さなどうでもいいことにイライラしたり、急に欲が出てくる。終いには、人の力が及ばない所まで支配しようとする。自意識が助長して暴走する。そんなしょうもない生き物だと思っている。

人にはどうしても、自分の力で解決できず悲しい思いをすることがある、という事を胸に刻んでおきたかった。それで、拗ねて精神を拗らせてしまうことも。湿っぽいとバカにされても、拗ねたい時は拗ねたらいい思います。いつか、解決しなくても消化できることを願っています。そして、身近にそういう人がいたら、否定しないで近くにいれる人間でありたいと思います。そいつがどんなに最低なやつでも。


※完全に個人的な趣味なんですが、この夏、星野源の本を読み音楽もダウンロードもしてしまいました。SUNというヒットした曲を聞いて、これをたくさんの人が聞いていると思うと、一人ぼっちではないと元気付けられた瞬間がありました。星野源よ、ありがとう。

 ※障害者だということはハッキリしていません。障害者「かも」という可能性があるだけで、今はハッキリさせる必要はないと思っていて働く時に、また考えてみようと思っています。途中、障害者の方や関わっている人を傷つけるような大雑把な表現をしたと思います。嫌な思いをしてしまったら、ごめんなさい。