デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

【実録】これが大学中退者の末路だ!

 

※黄金頭さんのブログが面白かったので、なるべく同じフォーマットで書かせてもらおうと思います。

 

 


「ゆきちゃんには、理系に進んでほしいの」

 

高校受験を控えた冬、親に唐突にそう言われた。ゆきちゃんというのは私のことで、ゆきちゃんは「奈良にある女子高に行きたいな、理系とか文系とかよく分からないけれど、どっちかというと文系かな?」とぼんやり思っていた。その希望は、易々と親に受け入れて貰えると思っていたし、却下されるなんて全く思っていなかった。自分の進路は自分が決めるのが当然の権利だと思っていたのである。が、受験直前にそんなことを言われて、結構ビックリした。すんなり親の言うことを聞いたのか?ちょっと抵抗した気がする。学校の担任教師との進路相談では、女子高に行きたいと言い続けた。最初は担任も私の言うことに頷いて聞いてくれていたが、最後の最後の進路相談で「親が学費を払うのだから」と言った。親が学費を払うから、それに従えというのである。担任は一緒に説得してくれるものだと思っていたので、ビックリした。その時、金を持つ者が世の中を支配するんだなと思った。世の中の冷たさを垣間見た気がした。


ということで私は東大阪にある高校に通うことになった。親の希望通りの進路だ。入学してからすぐ、大学は自分で決めたいなとボンヤリ思った。女子高に行かせてもらえなかった理由の一つとして、「普段コツコツ勉強してない、そんな奴は進路を自分で決める権利などない」というような主旨のことを言われたので、高校生活は毎日コツコツ勉強して、親を納得させようと決意した。

毎日コツコツ勉強するーーー目標がないと日々の生活に張り合いが出ないと思ったので、志望大学を決めることにした。高校1年の4月である。この前、受験を終えたばかりだ。両親が公立大学の医学部卒だったので、そこと同じくらいかそれ以上の難易度の大学にしようと思った。今から思えば、親に恨みタラタラの志望動機だ。見返してやりたかったのかもしれない。でも私は、親が卒業した大学の医学部に入学しようと決めた。医者になり、かつ同じ大学に行くと親が喜ぶと思ったからである。親への恨みと親への承認欲求が入り混じった複雑な志望校選びだった。ということで私は、勉強を始めた。最初は、一日一時間とかだった。そのうち、通学の電車の中でも単語帳を開き、帰宅してから深夜2時くらいまで勉強するようになった。それを毎日。どこがコツコツやねん。運動会の待ち時間でも、参考書を開いていた。ガリ勉とバカにされたけど、そんなことどうでもよかった。私は高校にいなかった。心は完全に大学へ向いていた。自分が決めた、みんなに凄いと言われる名のある大学で、自由にやっている完璧な世界ーーーそんなユートピアの中にいた。高校生の自分なんてどうでもよかった。そうやって私はオーバーワークになっていった。親はただただ喜んでいた。親が喜んでくれる家は居心地が良かった。

成績はどうだったのか?めっちゃ良かった。めっちゃ。が、しかし、それは高校2年までしか続かなかった。オーバーワークが続かなくなったのだ。高校にいることもなんだか辟易して来たので、最低限の出席日数とそこそこの成績は納めて、まとめて学校を休むようになった。みんなが進路でザワザワし始めた頃、私はもう何もしなくなっていた。無気力になっていったし、被害妄想もひどくなった。私は、カウンセリングに通うようになっていた。

 

肝心の大学受験はどうだったのか?高校1年から思い描いていた大学受験。一応、某大学医学部を受けた。当然落ちた。そのまま私はなんとなく、浪人した。でももう勉強はしなかった。上手く説明出来ないが、机に座って勉強しているけれど完全に上の空だった。ということで案の定、どこの医学部にも受からなかった。私は、京都にある薬科大学に進学することにした。浪人生の頃、一緒に医学部をした仲間は、そのまま予備校に残った。そのまま医学部を目指し続けたのである。私は純粋に医者になりたいという気持ちもなかったし、もう早々とこの受験生活を切り上げたかったので、その薬科大学で妥協した。

薬科大学というのは何かというと、薬剤師になるための大学である。文学部とか工学部とかそんなものは存在しない薬学部オンリーの大学。薬剤師とかどうでも良かった。医者なんかに比べたら、ランクの低い仕事だと思っていた。それでも親はとても喜んでいた。中学の頃バカだったから安堵したのだろう。

ただ私には打算があった。薬剤師になったら社会的に認められるだろうし、薬学部も6年行かなければならないので、長い6年間の間に自分のやりたい仕事を見つけてみようと思ったのである。いわゆるモラトリアム期間の延長というやつである。自分のやりたい仕事をやりつつ、薬剤師は副業にして荒稼ぎしてやろう。そういう展望であった。医学部に行けなかった挫折感をそういう展望で埋めようとしていたのだと思う。
ということで私は、大学に行きながらネイリストになった。大手のネイルサロンに雇ってもらえたのである。すごく楽しかった。アルバイトだったけれど、ほとんど社員と同じことをやらせてもらえていたし、何より人生で始めてやりたい事ができて充実していた。大学との両立なんて全く苦ではなかった。なんだか他の大学生より、リードして人生を進んでいるような気になったのである。やりたいことを決めて計画的に生きてる自分が、なんとなく生きてそうな同い年の子より偉く思えた。というか完全にバカにしていた。働き詰めで給料も良かったので一人前になったような気でいた。バイトから終電で帰宅し、始発で大学に行って勉強する。休みがない。そういう生活がかっこいいと思っていた。

 

そんな生活は長く続いたのか?続かなかった。私はだんだん眠れなくなり、ある日大学に行けなくなった。大学4年の頃だった。あれよあれよと転落していった。24歳の時、双極性障害という診断が下りた。大学にはちょこちょこ復学したりもしたが、続かなかった。何かしなきゃという強迫観念のもと、色んなバイトをしてみたもののそれも続かなかった。何一つ続かなかった。大学の同級生はいつのまにか、卒業して薬剤師になっていた。バカにしていた連中に先を越されたのである。ニートみたいな生活を送ってる自分は落ちたもんだなと思った。情けなかった。

26の頃、もう大学は行けないかな、そもそもやりたい事でもなんでもないし辞めようかなと思い始めた。お金はどうやって稼いでいくのか不安だったので、随分悩んだ。世間体から自由になりたい自分vsお金って感じだった。それを周囲に相談すると猛反対された。薬剤師になれるなんて私が変わりたい、とか言われた。通じて、「社会を舐めている」という意見だった。27の頃、休学期間が切れそうだったので、担当教授が私の家まで来てくれた。やっぱり資格とかお金って大事だよね、と思い直して28に復学した。最終チャレンジだった。

復学して1ヶ月で足が大学の方へ向かなくなった。これがラストチャンスなのに、お金とか資格とかってすごく大事なのに、と頭で分かっているのにどうしても体は言うことが聞かなかった。そして私は大学を辞めた。母と一緒に退学届を貰いに大学へ行った。教務課へ提出した。なんだかホッとした。とても穏やかで綺麗な日だった。あれほど灰色に見えた通学風景が始めて美しく輝いて見えた。
それから私はしばらく退学したことを口外しなかった。大学に通ってると嘘をつき続けた。自分の決断を否定されるのが怖かったし、辞めるまでに考えたことが一杯あり過ぎて辞めた理由を簡単に説明できる自信がなかった。要はめんどくさかった。

 

 

そこから数年経ち、私は31歳になった。仕事はやっぱり続かない日々だ。親のサポートがなかったら、とっくにホームレスだ。というかこれからなる可能性だって大いにある。病気と付き合うのが最近ようやく上手くなってきて、将来のことは見えない・想像できないというのが本音だ。体はどんどん弱くなり、出来ることが少なくなっている自分に恐怖を覚える。やっぱり大学を続けて薬剤師になってた方が、人生お得だったヤッテモータと思う時もあるが、あの時の健康状態で卒業できたかと言われれば、多分できなかったとも思う。これから凄く後悔するのかもしれないが、それは人生進んでみないと分からない。

 

高校の頃から長々と書いたが、私は親に、社会に、全てに反発し続けたと思う。自分の気持ちを押し通したくて、周りに合わせるということを一切してこなかった。あんなに社会に合わせたくないと自分を押し通して反発し続けたのに、今や「病気に合わせる」という生活をしている。なんだか滑稽だ。ほんとに滑稽だ。でも何かに少し合わせるということは、案外生きる一つの手段だと思うし、どんなに自由に生きてても、どこかで何かに合わせる・寄り添うことは出てくるんだと、周りを見ていて思う。

今、自由に自分の気持ちに素直に生きたいと思ってる人に言えることは、案外何かに反発するのはエネルギーが消費するということです。若いから大丈夫、自分の夢のためだから前向きに頑張れると思っていても、結構疲れているかもよ、と言いたい。一気に進もうとすると
事故ることがあります。事故っても自分を責めないように。上手く手抜きできる人の方が、長続きします。大人になれば、頑張ることが当たり前だとされるし、そんな大人は沢山いますが、上手く休める大人になって下さい。そっちの方が断然クールです。ダラダラヘラヘラ続けれる人の方が、人生楽しそうだし、ある日たくさんの人を追い抜いてるかもしれません。

 

説教めいたことを書きましたしこんなウンコみたいな私の言葉など何一つ響かないと思いますが、少なくとも私は、これを言い聞かせて人生を進んでいこうと思います。今回、親を悪者みたいに書きましたが、病気になってから今現在も暖かく見守ってくれている両親に感謝の気持ちを示して筆を置きます。あと薬剤師の皆さん、馬鹿にしてごめんなさい。仕事に優劣などありませんよね。ホント。