デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

はてなブログに来た


ネットで自分の考えを、公に発信することができるようになった今、自分のような病気の人が、どのように社会で理解が得られるのか、社会進出しやすくなるのかを、考えてみる。自分がどうしてそのように思うのかというと、自分の病気に対する理解のなさや偏見に憤り、自分が病気で困った時に解決策や答えが欲しくて、ネットで探してみるものの、あまりフィットするものがなかったからだ。元気が欲しくてネットに来てみたのに、逆に落ち込んでしまうことの方が多かった。この10年、そんな感じだった。

 

まず、「メンヘラ」という言葉を聞いて、何を想像しますか。
「心が弱い人」「構ってちゃん」「周りに自分の感情を当たり散らして迷惑をかける人」、とにかく面倒な人を指しているように思う。
ネットスラングなので正確な定義などないだろうし、気に留める必要もないのかもしれない。メンヘラの語源になっているメンタルヘルスは、簡単に言えば精神面における健康のことだそうだ。精神とは何ぞやと調べてみると、心や意識といった意味らしい。
私のような病気の人もメンヘラというカテゴリーに入れられると思うのだが、脳の器質的な障害や脳内物質の不均衡が原因なのに、「根性が足りない人」「我慢の足りない人」と誤解され、心の問題といっしょくたにされている所がそもそもの誤解の始まりなように思う。私は、この病気になってから根性がない、努力が足りない、やる気があれば出来るという言葉を何回も何回もかけられて来た。10年このような言葉をかけ続けられると、何にも言われていないのに、会う人会う人全員がみんな私のことをそう思っているのではないかと深読みをしてしまい、最近は人に会うのが少し怖い。自分は精一杯やっていて自分の問題に困り真摯に取り組んでいるのに、その上他人からマイナスな評価を受けるのは、誰だって嫌だ。とにかく私は嫌だし、何回言われてもそういう対応に慣れるどころか傷ついて落ち込んでしまう。そんな世の中を半分くらい諦めながらも、誤解されたくない 分かってもらいたいと、やっぱり切望してしまう。

 

私のような脳に障害がある人間が、理解されにくいのは一見健常者と変わらないことが大きいように思う。五体満足で、健康そうに見えるからだ。状態がいい時は、健常者の並以上の能力を発揮する時もあるので、一体元気なのかしんどいのか、普通の人にはよく分からないだろう。次に、患者本人が自分の状態を客観的に見れていない事が多い。障害があることが気づかず、自分に操られるように生活している事が多い。症状を自己モニタリングし、冷静に説明できる人間がまだ少ないように思う。

 

どうすれば理解が広がり、社会進出しやすい世の中になるのか。
それは、あった事を淡々と伝える事だと思う。悲観的になりすぎず、被害者意識を文章に載せることもなく、話を盛らずにありのままを書く話す。それが大事だと思う。
身体的障害者も含め、世にいる障害者が疎まれる見解を 時にもたれるのは、ヘルプを怒りや悲しみに載せて訴えるからことが多々あるからだ。障害を理解しない受け手が悪いと言えばそうなのかもしれないが、人間というものは自分の体験していない事を理解したり共感するのはとても難しい。仕事でもないのに、説教っぽくいい伏せられたりキツイ物言いなんてされたくない。生きている限り、人間はみな理不尽な目に遭い傷つけられることはあるだろう。障害者ゆえに傷つけられる事もあるだろう。どちらにしても、自分の嫌だったこと困っていることを理解してもらうには、相手に分かる言葉でかつ冷静に、時間をかけて何回も話す根気が必要なように思う。今は短文で自分を表現することが主流のように思うが、自分を理解してもらうには一回で分かってもらうことを期待しない方がいいように思う。
乱暴に扱われたくもなく 24時間テレビ的な扱いも受けたくもないのは、脳の障害者である私も同じで、そんなわがままにも思えるこだわり自体が 一部の健常者からすればめんどくさいと思うのだが、そうならないためには、繰り返すが、話を大袈裟に盛るのではなくありのままに伝えるのが一歩だと思う。

 

ここまで読んでくれた人は、障害者は障害者で固まっておけばいいと思う人もいるだろう。自分は何回か精神的な病気の人が集まって話す会に行くように勧められたことがある。自分はその話を聞いた時、プライドが高いせいかなんなのか、みんなと同じにされたくない・同じグループに押し込められたくないと思ったし、何よりその集まりに行って傷の舐め合いをしそうになるのが怖かった。傷の舐め合いで自分の置かれている状況を誇張したくなかった。その会を否定するつもりはないが、昔から、健常者のいる社会へ積極的に出て自分の障害と向き合うのが大事だと考えていたのだと思う。障害の度合いもあるが、脳の障害者は健常者と一緒にいることがほとんどだ。集まれば怖くない精神で、障害者だけで固まるのは得策ではないというのが現時点での考えだ。(そのような集まりで、気づきがあって救われる人もいるので全否定しているわけではない。)

 

精神的な病に罹っている人が、対人関係においてトラブルを起こすことはとても多い。(対人関係に限らず事故を起こす確率も大きいが、ここでは触れないでおく。)なのでネットで「メンヘラは〜」という定型文のような批判的な内容がまかり通っている。対人関係でトラブルを起こすのは、感情の出し方が相手に受け止めれないほどの大きさだったり、人との距離感が適切ではなかったり、対人関係における匙加減の調節が上手くいかないのが原因だと思う。そうなのならそれを直せばいいという意見が来るのは当然なのだが、それに気づけず直せないのがある意味、病気なのであって難しいものである。しかし、病気も長くなってきて、そういうことが冷静に見れる病気の上級者みたいな人がいる。そのような人が、病気の人と健常者の橋渡し役になればいいと思う。上級者が初心者をフォローするのとなんら変わりはない。そのような病気の上級者は、これからの社会でとても重宝されると思うので気後れせずに、社会にどんどん出て行って欲しいと思う。

 

私は専門家や医師ではく、障害者や病気のことを全部把握していないし、何しろ社会から長く遠ざかっているので社会感覚も鈍っていて、自分が長年病気と付き合って来た勘だけで考えたことなので、ここまで書いた事に知識の裏付けはないのだがこれからも素人なりに自分の体験や解決策を、ありのままに書いていこうと思う。
脳に障害のある人については、まだ理解も発展途上で なんとなく議論もタブーなような感触があるし、理解云々も大事と言えばそうだが、何より実際に社会に出てスムーズに動けることが一番いいことだと思うので社会を怖がらず、失敗をしながら模索していこうと思う。社会で失敗したり苦しんだ時に、少しの気遣いがある世の中であるようにと願い、筆を置く。