デブを改めたい。

双極性障害Ⅱ型と診断され7年。身も心もスッキリしたい。

体型に絶対的な美的基準はない

 


肌見せの季節ですね!

 


この前、フィルムカメラを現像したらキャミソールを着た白いブタが写っていたので痩せようと思いました。

 

摂食障害の時に、外来やカウンセリングで「痩せる」を「引き締まる」、「太る」を「ふくよか」という言葉に置き換えられるのが嫌でたまらなかった。「バランス良く食べましょう」という栄養士の言葉に身の毛がよだった。私にとっては「痩せる」は「最高」で、「太る」は「デブ」であった。キレイゴトを言ってんじゃねぇよ、もっとダイレクトに話してよとイライラした。あの頃、嫌でたまらなかった気持ち、抵抗したかった気持ち。診てくれた先生方にやっぱり10年経ってもたまに思い出しては反抗したくなる。

 

今、痩せたいという気持ちを否定されたような気分になって嫌な気持ちになってる子に援護射撃を、まずは打つとする。

 

太りすぎると着る服がなくて困る。

この国の洋服、サイズが本当に限定されている。痩せてる時は大抵の服はかわいく着こなせる。いくらでもある。そりゃ、痩せてる方がカッコイイと我々が思うのは仕方ない。当然のなりゆきである。

 

f:id:xxs_yuki:20180718210501j:image

f:id:xxs_yuki:20180718210505j:image


日本は太っている人のためのセクシーな服・かっこいいモードな服がまず、ない。私が見た限り、数が少ない。百貨店の大きなサイズコーナーも参観日みたいな服ばかりだし、「ふくよかな人のためのかわいい服」と言えばハリセンボンの春菜さんや森三中の村上さんがよく着ているポップな服に偏っている気がする。まず、太っている女芸人はいても、太っている綺麗めな清く正しい女優はテレビに出てこない。

パキッとしたブルー、赤など明るい色。チェックや水玉のような子供っぽい柄。ワンポイントでブローチやリボンをつけるのがお決まりと言ったところ。テレビ映えはするんでしょうけど、なんせチルディッシュで、美しいというより可愛いに限定されているような気がする。

でも自分自身、太ってみてサイズ大きめの服を試してみると確かに明るいカラーの方が、膨らんだ顔や体はパキッと締まって見えるので、ある程度の理には叶っているっちゃあ叶っているのだけれど。

例えばだけど、ネイビーのデコルテが綺麗に見える、スカート部分はふわっとしたふくらはぎの一番太いところまで隠れるようなラップワンピースとか、どうだろう。太っている時、あったらいいな、と思った。フォクシーやセオリーをもうちょっと崩したようなシャープでモードな空気感がある洋服。そんな服私が太っている時はない。なかった。ただZOZOがPBを始めたのである程度は改善されるとは思う。

 

自分は服を作っているが、パターンを引いてるとふくよかな体型になるほど曲線がゆるやかになっていくのでシャープなシルエットを出しづらいというのも現実として、ある。あと清潔感が手に入れにくい。確かに細いほうがスッキリは見える。既存のブランドが提示するモデルの子も細い。もう何十年も前から。

 

以上のことを踏まえても、ふくよかな体型でオシャレする方がどう考えてもハードルが高い。テクがいると思う。手の込んだことを沢山しないといけないように思う。どう考えても太ってるのに素敵な服を着こなしている人の方がオシャレ上級者だと思う。それくらい難しいことだと思う。痩せてるほうがいいか、太っているほうがいいかの二択だったら後者がすんなり淘汰されても仕方ないとも思う。この世界では、痩せてるほうが色々と手っ取り早い。世の中の女性が「痩せたい」と切望するのはごく自然なことなのだ。

 

この世界のスタンダードが「細い」に限定されてるから。そうでなくてもあなたの生まれもった美的感覚が「細い」ならそれは変えようがない。変え難い。それは否定されるべきではない。

 

 

f:id:xxs_yuki:20180718210403j:image

 

でもふくよか・太ってるのはなんも悪くない。体型に善悪はない。体型に道徳的基準の善悪はないのだ。上の写真を見てほしい。こういう世界観も一応は、ある。これはlonelyというニュージーランドの下着ブランドのヴィジュアルである。「ふくよか」「太っている」に対する認識がお外の国では全然違うな、と思う。この国でははふくよか=暑苦しい、悪い。まずこのような体型の女性がモデルになったり肌見せするような写真はこの国では撮らない。この写真の女性はセクシーでさわやかで美しい。紹介はしておこう。

 

もう一度言うけれど体型に善悪はない。太ってその変化を、みんなに興味本位で指摘されたり冷やかされるのはそれこそ道徳的に悪、だと思う。人間はその時々の環境、ホルモンバランスによっていくらでも体型は変化する。特に女性は。だからあんまり前後する体重をその時その時でスポットスポットで、否定しすぎないで欲しい。落ち込みすぎないでほしい。いくらでも健康を害さない限り、痩せてもいいし太っても構わない。それを人にとやかく言われる必要はないし、増してや良し悪しを決められるべきではない。というか、第三者が体型の変化に軽口を叩くな。自分が一番体の変化についてセンシティブなのだから。自分が一番分かってる。痩せているのが美しい、太っているのが美しいという価値観は限定的なものではない。フレキシブルなものである。

 

でもただ一つ、こと体型においては急激な変化でなく、ゆるやかな変化を描いてほしいと思う。変化するのは何も悪くない。また、多様性が謳われるこの時代に、「痩せ」は良くて「太ってる」は悪という考えは時代錯誤も甚だしいとは思いはする。自分の美的感覚を人に押し付けないように。

 

ピンクがかわいいと思う人もいれば、苦手だと思う人もいる。犬がかわいいと思う人もいれば、嫌いな人もいる。それと同じくらい人それぞれの価値観だよ、美的感覚って。自分の中では絶対でも、外の世界に出ると意味をなさないようなものです。本当に。

 

 

※暑さで脳が研ぎ澄んでないせいか、ブログのテーマである持病について書こうという気になれない。というか、持病のことになると思いや事象がいくつも連鎖してどこを切り取って書けばいいか分からず最近挫折してしまう。自分の書きたいことを書くのが、今 ハードル高い。今日の話題にしても、もう少しちゃんと書きたかったけれど、なんかまだ時期尚早だと思い、軽めにしました。ふくよかや太っているということを肯定する文言や文章を見るだけで辛くなる人もいるのも分かっています。不快になったらごめんなさい。終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノ教育に興味がある

 

 

 

「ごきげんいかが?どんな服を着ているの?お通じはまだいいかい?快く仲直りをしてくれない?さもないと、ぼくの名誉にかけて、バーンと一発やらかすぞ! どうせきみは笑っているな―万歳(ヴィクトリア)! 僕らのお尻を和平条約調印のしるしとしよう!」


モーツァルトの手紙より

 

最近、ピアノ教育に興味がある。

というのは、クラシック界に名を残したスター達はどう考えても社会に適合できないクソダメ人間が多かったからだ。音楽がなければただの人、というよりは音楽がなければ人として終わってるという感じ。

彼らには豊かな才能と突出した集中力があったに違いない。彼らは特別な人間であって我々のような凡人とはかけ離れた存在だ、と言われればそうなのかもしれないが、果たしてそうなのだろうか。

私は19歳くらいまでピアノを習っていたが、ピアノって毎日、何時間もやらないと上手くならない。当然私はできなかった。子どもが毎日何時間も同じことをやり続けるのは結構至難の業だと思っていて、やり続けることはできたとしてもモチベーションを保つのもまた更に至難の業。彼らの親はどういう教育を施していたのだろう。(パワハラ的な世界があったにはあったのだろうが)

私は彼らの中にはADHD的気質を持っていた人達が結構いると思っていて、数奇というか苦労の耐えない人生を送りながらも、一つのことを続けてきたというのは、彼らを見習って真似できることがたくさんあると思う。

 

楽家達のクソダメエピソードを聞いていると、「できる人」というのは「どこかが欠けている人」なんだと思う。そう言われてみれば私自身、周りのできる人で全てが完璧な人を見たことがない。

まずできる人というのは何だろう。できる人の定義はたくさんあるのだろうけど、どの定義のできる人であれ共通しているのは、「続けることができる人」「辞めどきを知っている人」だと思う。あんまりやる気だの根性だのは関係ない気がする。

できる人は、まず休むのが上手い。自分を甘やかすのがとても上手い。あと結構自分勝手な人も多い。「なにかが欠けていることに躍起にならない」。足し算より引き算思考の傾向が多い気がする。やる気と根性、完璧主義は最も遠ざけていいものだと思う。 

 


自己啓発的な本で、やる気を鼓舞する本はたくさんでてるけれど、もっと「良い休み方」「手の抜き方」「上手いサボり方」とかそういうテーマに焦点を当ててみた方がいいと思う。「できるとアッパラピーな生き方の両立」とか。やる気なんて大概の日本人はあるって。真面目な方だって。

尊敬する人がいたら、その人の仕事のやり方だけを真似するんじゃなくて、その人の休み方やダメな部分も観察したほうがいい。と思いますよ。

 

 

かなり駄文にはなってしまったが、映画「シャイン」を見ていたら、ふとそんなことを思ってしまったのである。(シャインは天才ピアニストデイヴィッドの人生を描いた実話映画。興味がある人はぜひ)この映画を見てると幼い時の自分を見てるようで辛かったし胸糞悪いのオンパレードだったのだが、ラストの方でいい風になっていく。デイヴィッドは精神が崩壊することでそれまでの何かが「欠けた」。そこから本当の自分を取り戻していく。ラストに注目して見てもらいたい。

 

 

 

 

 

 

知りたかった今日

35歳で死にたい。

 

そう真面目に思っている。生きてるのは楽しいけれど、やっぱり辛い。辛い部分が今の私には多すぎるのだ。毎日の体のコントロールは思いの外しんどい。キツイ。以前のブログにも書いた通り、このしんどい毎日があと50年も続くのなら、体のいちいちのことが気にならない5年を過ごして、35歳のある日ポックリ行くほうが幸せに思う。心からそう思う。

 

でも私は寿命を決めれない。

 

35歳で死にたいとか実際に友達やいろんな人の前で言っちゃったら、周りの罵声しか聞こえない気がする。命を無駄にするな、生まれたことに感謝しなさいとか、そんなありきたりのこと。

 

よく「あなたが生きてる今日は、誰かが生きたかった今日なんだよ」という自殺を食い止めるキャッチコピーのようなものが存在する。ありきたりだけど、結構腑に落ちてしまいそうな言葉だ。命を無駄にするな、より説得力がある気がする。

 

でも全く私には届かない。なんていうか、そんなこと知らねーよ、あんたの生きたかった今日を生きてるわけじゃないよ。私は私のデコボコ道を今日は今日とて生きてるわけで、あんたの人生を歩んでるんじゃないよ。あんたの人生だったら私も死にたいとすら思わなかったかもしれない。ハッピーな人生で羨ましいわと思ってしまう。(全部がハッピーな人生なんかないのも知っている みんなも苦しいことがあるのも知っているけれど)

 

でもある日、私は誰かが生きたかった今日を誰かが知りたかった今日に置き換えてみたらまだ、心にすんなり落ち着くような気がして来た。なんかそっちの方が共感できる気がする。

「あなたが生きてる今日は、誰かが知りたかった今日なんだよ」こっちの方がすんなり来る。


確かにある日ポックリいっちゃえれば、それはそれでもう願っても無いことなんだけれど、まだ私がみっともない毎日を過ごしながら死んでないのは「知りたい」という気持ちがあるのだと思う。それは死なない理由の一つではあると思う。

 

例えばだけど、友だちの子どもがどんな風に成長するかはかなり気になるし、生き続けた結果私はどんな人間になるんだろう 無職のままか 何か人に役立つことができているのだろうか、なんて自己実現のような欲求もまだあるみたいだし、ババアになったらどんなファッションをしてるのか 2050年のファッションはどんな流行なのか(私はファッションが好きだ)、とかもちょっと見てみたくもある。彼氏はどういう感じでくたばるんかな、とか。(彼氏は呑気な人だから苦しんでる姿が想像できない)

 

良い天気のときに、心地よい風に吹かれて気持ちよかったりすると案外生きててよかったなんて単純に思う。私は今の季節のような風にたそがれてぼんやりする時間が大好きなのだ。

 

死んだ誰かが知りたかったこと
死んだ誰かが感じたかった今日のサイコーな天気

とかなら、なんか、腑に落ちる。


知りたいことがまだ私には少なからずあるな、とは思う。死にたいくらい悩んでる人ってなにか答えが知りたくて悩んでることも多いし。人って結構「知りたい」に突き動かされているんだなぁと思う。

 

でもなかなか生きること、すなわち健康を維持するのって難しい。今日を生きたいと切実に願う人も、今日死にたいと希望する人もどちらもいろんな意味合いで健やかでないのは共通している気がする。命ってグラグラ揺れてるんだね。きっと。

 

 

 

人間関係はフェアプレー

 

 

 

最近、「心を患ってしまった人 対 それをケアする人」のバトルについて相談されました。簡単に言えば、鬱になった人によかれと思って相談に乗っていたら鬱の人に暴言を吐かれて自分自身の心が参ってしまったという話です。この手の話が多いな〜と思ったので今日は書いてみようと思います。

 

うーん、悩ましい。
何故私がこの手の話を聞いて「悩ましい」という感想になるかと言うと、どっちの立場の人の気持ちが多からずとも分かるからです。つまりは、暴言を吐かれた人の気持ちも分かるし、鬱の人が暴言を吐いてしまう状況も分からなくはないからです。私は中立の立場をとってしまう。

 

鬱になった時に、周りが色々アドバイスしますよね。「外に出てみたら?」「しばらく仕事休んでみたら?」などなど。私が経験して感じるのは、どのアドバイスに満額回答なんてないってことです。「外に出てみたら?」というアドバイスに対しては、外に出れるだけの体力がある患者さんもいますし、外にも出る体力もない家で篭るしかないっていう患者さんもいる。「仕事休んでみたら?」というアドバイスにも「仕事休んでいいんや」とホッとする人もいれば、「仕事なんて休める状況じゃない。そもそもお金のことはどうするんだ」って逆に怒っちゃう人もいる。

このアドバイスのちょっとした行き違いでもトラブルの元になることもあるなーと。

鬱の時ってただでさえ気分もどんよりしてるし、視野も心の度量もなくなるから、他人から言われたことをただでさえマイナスに受け取ることは多いな、と。他人から貰ったアドバイスでさえも最悪のパターン、「攻撃された」にすり替えてしまう場合もあると思います。なかなかプラスに受け取れないですよね。自分はこんなに苦しいのに、周りは無責任なことばっかり言いやがって。みたいに思っても仕方のない状況、といいますか。

 

 

でもね、自分は病気だからといって暴言を吐いてもいいのか?という問いに関しては、全力でNOと言いたい。それは、自分の病気を凶器に変換して相手を攻撃しているのも同然です。
そして、ケアしてる人も自分の言った言葉で鬱の友だちや家族を余計傷つけてしまった、と自分を責めないでほしい。さっきも言った通り、この状況の患者さんに対して満額回答のアドバイスなんてないんです。ほんとに。患者さんの言うことに全部寄り添うことなんて絶対無理です。それはスペシャリストと言われている精神科医やカウンセラーの方でも無理なんだから。素人のあなたができなくて当然と思って頂ければな、と。というか側にいてくれる優しい気持ちだけで、どんなに励みになることか。

 

とは言うものの、自分が攻撃しているかどうか、暴言を吐いてるかどうかすら分からず冷静になれない患者さんもいるし、精神的な病気に対する理解もなくて肩身の狭い思いをすることもあるので、健康な人を妬ましく思ったりしてしまうのも仕方のないこの社会の状況…とも思うので、ほんとにこのケアされる側とケアする側の間で起こるトラブルは難しいなと、毎回聞くたびに思います。両方の気持ちが分かるだけに。

 

でも、この難しい問題を解決するための魔法の言葉があると思います。それは、「ありがとう」「ごめんなさい」を使うということです。そう、幼稚園に帰るのです。
もし周りに暴言を吐いてしまったり、当たってしまった時、その時即座に言えなくても、時間が経ってからでも「あの時あんなこと言ってごめんね」と言いましょう。「いつも一緒にいてくれてありがとう」とも。
「自分が今しんどい状況なので、心配させるけど見守ってね」など素直にお願いしましょう。そう言われるだけで、ケアする側は救われます。あなたも友だちや家族を失わずに済みます。案外簡単なことだと思います。

 

 

「病気だから、障害者だからなんでもしていい・言いたい放題言っていい」っていうのは、やっぱり違うと思います。それって健康な人を逆に差別していませんか?あなたが自分の病気の理解のなさを嫌がるのと同じように、あなたも健康な人の気持ちへの理解がないと思いませんか?健康な人だって気持ちがあります。普通に傷つくし、失敗することだってあります。人間関係はどんな場合もフェアプレーです。フェアプレーが出来ず、相手に言い過ぎた時は「ありがとう」と「ごめんね」をたくさん使いましょう。

 

 

長々、正義の味方みたいに書きましたが、私も暴言を吐いたり 喧嘩したり 人間関係の縁が切れるということを沢山してきました。沢山の失敗をしてきて、沢山怒ったり悲しい思いをしてきた上で、やっぱり「人間関係はフェアプレー」だと思うのです。

 

 

最後に完全なるわたしの独り言だけど…。
なんか…Twitterのプロフィールに「我はADHDだ」「我は双極性障害だ」などと障害名を掲げておいて、ツイートは言いたい放題の方を見かけるんですが、それってどうなんかな?と。言いたい放題の背景として社会で平等に扱われていないというフラストレーションをすごく感じるのですが、そんな言いたい放題して病気の理解が広まったり差別が無くなると思ってるのかな?とたまに疑問に思います。逆にそんなことしたら、私達は煙たがれるのでは?
自分の非があるごとに、病気を言い訳にする人も頂けないな、と。病気と関係ないことでも、病気を言い訳にするのってどうなの?
はっきり言って、病気に対する正しい理解を啓蒙したい側からすると、やりたい放題の方の存在は迷惑でしかありません。怒りすら感じる時がある。


ツイートも人間関係も基本はフェアプレーだと思います。病気という切り札は、正しい場面で正しく出しましょう。

 

日記をつける【実践編】

 

 

前回の記事で「日記をつける」ことをオススメしましたが、今回は「実際の日記のつけ方」を書きます。この方法はスケジュール帳・日記・体のバロメーター表の3つを兼ね備えたものなので、なかなか便利なことを考えたものだなぁと自画自賛している。私の書き方も良かったら参考にしてくだされ。

 

 まずウィークリータイプの手帳を用意します。私は無印良品のマンスリー・ウィークリーノート(A5サイズ)を使用。無印良品のウィークリータイプの手帳には、週間バーチカルタイプと週間レフトタイプの2種類があるので、レフトタイプを選んでくださいね。私の真似をしようと思う稀有な方がいればの話ですが…。

 

www.muji.net 

 

 

f:id:xxs_yuki:20180304145916p:plain

無印ウィークリーノート。週間レフトタイプ。

 

f:id:xxs_yuki:20180304145446j:plain

マンスリーのコーナー。ここにはスケジュールを書く。まぁ普通。

 

f:id:xxs_yuki:20180304145511j:plain

ウィークリーのコーナー。左が一週間の予定、右が方眼紙になっている。

 

f:id:xxs_yuki:20180304145547j:plain

これで一日に付き3項目のスペースができる

①日記コーナー・・・今日の気分、気持ち、やったこと

②体のバロメーターコーナー・・・体重、基礎体温、天気などなど。

③今日食べたもののコーナー・・・ここは基本的に自由。

 

 

f:id:xxs_yuki:20180304145623j:plain

実際に書いてみるとこんな感じ。架空の人物の日記なので、内容は気にしない。

 

日記のつけ方以上です。みんなも自分なりのノートのつけ方を見つけよう!書く(描く)って楽しい。 

 

 

 

日記をつける【メリット編】

 


今までの人生で、人に醜態を晒しまくりロクなことをして来なかったのですが、10年間続けて唯一良かったことがあるので、今日はそれを紹介しようと思います。すごくカッコつけた言い方をすると、病気のためのライフハックとでもいいましょうか。

 

それは日記をつけるということです。

 

鬱病になって、お医者様やカウンセラーの方から「日記をつけてみてはいかがですか」と勧められたことはありませんか?そう言われた人は、たくさんいると思います。私もかく言われた人間の一人です。私は、そう勧められて素直に行動したかと言うとそうではありません。なんなら面倒くさいなと思ったし、日記を付けてなんの意味があるんかいな?と。日記を付けて、鬱が治るとは到底思えなかった。
日記を付けてみることが鬱の回復に直結するのか、実際にやってみた感想を言うと、全く直結しません。ただただ、病気と上手く付き合うための材料の一つにしか過ぎません。やっておいたらお得かも、ぐらいです。自分という人間のデータベースを作っておいて、困った時に辞書や文献のように引っ張り出して、参考にするという感覚と言えば分かりやすいでしょうか。

 

私が日記をつけ始めたきっかけは、鬱のためでもなんでもなくレコーディングダイエットのためでした。一日食した物とそのカロリーを記録し、体重を減らしていくというアレです。当時、摂食障害で15kgほど太ってしまったので、体重を元に戻そうと思いやり始めたのでした。ウィークリータイプの手帳を購入し、食べたものとカロリーを記録するだけでは物足りなく感じたので、空いているスペースにひとこと日記を添えてみたんです。今日の気分とか、今日やったこととか。それを半年ほど続け体重は元に戻ったのですが、手帳をつけるのが癖になってしまい、なんやかんやで今も続いています。元に戻した体重をなんとか維持したいという、意地汚さというか執念深さがあったから続いたのかも。

 

f:id:xxs_yuki:20180227174925j:plain

 

摂食障害で通院しているうちに、私は双極性障害という診断が下るのですが、この溜まりに溜まった日記が双極性障害という病気の実態を観察するのに、役に立ったと思います。自分がどういう過程でテンションが上がっていくのか下がっていくのか、鬱と躁のサイクルはどのくらいのスパンで起きるのか、というのを統計的に見れた気がします。双極性障害3年生の時に、そういうことが観察できたわけではないですよ。10年生の時に、日記を10年分ザッと見直して分かった感じです。日記を付けたところで病気が分かるというものではなく、自分への客観性がある程度付いて来た時に、日記が参考資料として役に立ったという感じです。日記は時間がたたないと溜まっていかないし、自分への客観性というのもある程度の時間をかけないと身につかないスキルだと思います。自分と病気の折り合いはある程度の時間を要するということです。病気を治すのに時間がかかるから絶望しろと言ってるんじゃない。簡単に言えば、あなたが頑張らなくても、ただただ時間が解決してくれる側面が大いにあるということをお伝えしたい。頭脳や頑張りで解決出来ない時は、時間という他力的なものに、問題をどんどん投げうっていいと思います。不安や悩みは、どんどん時間という川の流れに投げちゃえ。捨てちゃおう。実際私はこの10年、病気を治そうということに対してすごく頑張ったつもりですが、病気を快方に向かわせてくれたのは自分の頑張りが3割、時間の経過が7割だったという感触を持っています。もっと頑張らなくてよかった。時間の流れにもっと身を任せてよかった。

 

話は脱線致しましたが、日記を付けるということは色んなことに多用できるのかな、と思います。女性の生理的な問題であったり、アンガーマネジメントをしたい方なんかは、どういうことで自分がイライラするのか観察できるのでは?ダイエットなんかにも、もちろんオススメ。別に目的がなくても、日記を付けるというのは力を与えてくれることだと思っていて、落ち込んだ時に立ち上がっていく様を過去の日記で見つけると嬉しいもんです。短文の日記であれど、当時の情景がみるみる蘇って来たり。
日記を付けることを強くオススメするような文を書いてしまいましたが、長く続けるコツは書きたくない時は書かないということです。正直、毎日毎日、日記を付けるのは面倒くさい。やることがいっぱいの現代人に日記を付けるなんて書く悠長な時間なんてあるかい!という冷めた自分がいたから続いたのかなと。私は手帳の中に空白の期間がたくさんあります。3ヶ月くらい空いてる時期もあります。本当にしんどい時は書けないものだし、今日は書いてみるか〜という軽い気持ちでいいと思います。日記を書くことは、ちょっとだけお得かもしれないというお話でした。

 

次回は【実践編】です。興味のある方はどうぞ。


※今回摂食障害のことをサラッと書きましたが、そんなにサラッとしたものではなかったということは分かって欲しいです。摂食障害の方が、他人のブログで「痩せた」だの、サラッと治すメソッドみたいなものを読むと、自分と比べてしまって悩むことがあると思うから。私も、ドロッとディープな摂食障害ライフを送っていました。また書ける時にそこらへんのことは書こうかな〜と思っています。

 

 

【実録】これが大学中退者の末路だ!

 

※黄金頭さんのブログが面白かったので、なるべく同じフォーマットで書かせてもらおうと思います。

 

 


「ゆきちゃんには、理系に進んでほしいの」

 

高校受験を控えた冬、親に唐突にそう言われた。ゆきちゃんというのは私のことで、ゆきちゃんは「奈良にある女子高に行きたいな、理系とか文系とかよく分からないけれど、どっちかというと文系かな?」とぼんやり思っていた。その希望は、易々と親に受け入れて貰えると思っていたし、却下されるなんて全く思っていなかった。自分の進路は自分が決めるのが当然の権利だと思っていたのである。が、受験直前にそんなことを言われて、結構ビックリした。すんなり親の言うことを聞いたのか?ちょっと抵抗した気がする。学校の担任教師との進路相談では、女子高に行きたいと言い続けた。最初は担任も私の言うことに頷いて聞いてくれていたが、最後の最後の進路相談で「親が学費を払うのだから」と言った。親が学費を払うから、それに従えというのである。担任は一緒に説得してくれるものだと思っていたので、ビックリした。その時、金を持つ者が世の中を支配するんだなと思った。世の中の冷たさを垣間見た気がした。


ということで私は東大阪にある高校に通うことになった。親の希望通りの進路だ。入学してからすぐ、大学は自分で決めたいなとボンヤリ思った。女子高に行かせてもらえなかった理由の一つとして、「普段コツコツ勉強してない、そんな奴は進路を自分で決める権利などない」というような主旨のことを言われたので、高校生活は毎日コツコツ勉強して、親を納得させようと決意した。

毎日コツコツ勉強するーーー目標がないと日々の生活に張り合いが出ないと思ったので、志望大学を決めることにした。高校1年の4月である。この前、受験を終えたばかりだ。両親が公立大学の医学部卒だったので、そこと同じくらいかそれ以上の難易度の大学にしようと思った。今から思えば、親に恨みタラタラの志望動機だ。見返してやりたかったのかもしれない。でも私は、親が卒業した大学の医学部に入学しようと決めた。医者になり、かつ同じ大学に行くと親が喜ぶと思ったからである。親への恨みと親への承認欲求が入り混じった複雑な志望校選びだった。ということで私は、勉強を始めた。最初は、一日一時間とかだった。そのうち、通学の電車の中でも単語帳を開き、帰宅してから深夜2時くらいまで勉強するようになった。それを毎日。どこがコツコツやねん。運動会の待ち時間でも、参考書を開いていた。ガリ勉とバカにされたけど、そんなことどうでもよかった。私は高校にいなかった。心は完全に大学へ向いていた。自分が決めた、みんなに凄いと言われる名のある大学で、自由にやっている完璧な世界ーーーそんなユートピアの中にいた。高校生の自分なんてどうでもよかった。そうやって私はオーバーワークになっていった。親はただただ喜んでいた。親が喜んでくれる家は居心地が良かった。

成績はどうだったのか?めっちゃ良かった。めっちゃ。が、しかし、それは高校2年までしか続かなかった。オーバーワークが続かなくなったのだ。高校にいることもなんだか辟易して来たので、最低限の出席日数とそこそこの成績は納めて、まとめて学校を休むようになった。みんなが進路でザワザワし始めた頃、私はもう何もしなくなっていた。無気力になっていったし、被害妄想もひどくなった。私は、カウンセリングに通うようになっていた。

 

肝心の大学受験はどうだったのか?高校1年から思い描いていた大学受験。一応、某大学医学部を受けた。当然落ちた。そのまま私はなんとなく、浪人した。でももう勉強はしなかった。上手く説明出来ないが、机に座って勉強しているけれど完全に上の空だった。ということで案の定、どこの医学部にも受からなかった。私は、京都にある薬科大学に進学することにした。浪人生の頃、一緒に医学部をした仲間は、そのまま予備校に残った。そのまま医学部を目指し続けたのである。私は純粋に医者になりたいという気持ちもなかったし、もう早々とこの受験生活を切り上げたかったので、その薬科大学で妥協した。

薬科大学というのは何かというと、薬剤師になるための大学である。文学部とか工学部とかそんなものは存在しない薬学部オンリーの大学。薬剤師とかどうでも良かった。医者なんかに比べたら、ランクの低い仕事だと思っていた。それでも親はとても喜んでいた。中学の頃バカだったから安堵したのだろう。

ただ私には打算があった。薬剤師になったら社会的に認められるだろうし、薬学部も6年行かなければならないので、長い6年間の間に自分のやりたい仕事を見つけてみようと思ったのである。いわゆるモラトリアム期間の延長というやつである。自分のやりたい仕事をやりつつ、薬剤師は副業にして荒稼ぎしてやろう。そういう展望であった。医学部に行けなかった挫折感をそういう展望で埋めようとしていたのだと思う。
ということで私は、大学に行きながらネイリストになった。大手のネイルサロンに雇ってもらえたのである。すごく楽しかった。アルバイトだったけれど、ほとんど社員と同じことをやらせてもらえていたし、何より人生で始めてやりたい事ができて充実していた。大学との両立なんて全く苦ではなかった。なんだか他の大学生より、リードして人生を進んでいるような気になったのである。やりたいことを決めて計画的に生きてる自分が、なんとなく生きてそうな同い年の子より偉く思えた。というか完全にバカにしていた。働き詰めで給料も良かったので一人前になったような気でいた。バイトから終電で帰宅し、始発で大学に行って勉強する。休みがない。そういう生活がかっこいいと思っていた。

 

そんな生活は長く続いたのか?続かなかった。私はだんだん眠れなくなり、ある日大学に行けなくなった。大学4年の頃だった。あれよあれよと転落していった。24歳の時、双極性障害という診断が下りた。大学にはちょこちょこ復学したりもしたが、続かなかった。何かしなきゃという強迫観念のもと、色んなバイトをしてみたもののそれも続かなかった。何一つ続かなかった。大学の同級生はいつのまにか、卒業して薬剤師になっていた。バカにしていた連中に先を越されたのである。ニートみたいな生活を送ってる自分は落ちたもんだなと思った。情けなかった。

26の頃、もう大学は行けないかな、そもそもやりたい事でもなんでもないし辞めようかなと思い始めた。お金はどうやって稼いでいくのか不安だったので、随分悩んだ。世間体から自由になりたい自分vsお金って感じだった。それを周囲に相談すると猛反対された。薬剤師になれるなんて私が変わりたい、とか言われた。通じて、「社会を舐めている」という意見だった。27の頃、休学期間が切れそうだったので、担当教授が私の家まで来てくれた。やっぱり資格とかお金って大事だよね、と思い直して28に復学した。最終チャレンジだった。

復学して1ヶ月で足が大学の方へ向かなくなった。これがラストチャンスなのに、お金とか資格とかってすごく大事なのに、と頭で分かっているのにどうしても体は言うことが聞かなかった。そして私は大学を辞めた。母と一緒に退学届を貰いに大学へ行った。教務課へ提出した。なんだかホッとした。とても穏やかで綺麗な日だった。あれほど灰色に見えた通学風景が始めて美しく輝いて見えた。
それから私はしばらく退学したことを口外しなかった。大学に通ってると嘘をつき続けた。自分の決断を否定されるのが怖かったし、辞めるまでに考えたことが一杯あり過ぎて辞めた理由を簡単に説明できる自信がなかった。要はめんどくさかった。

 

 

そこから数年経ち、私は31歳になった。仕事はやっぱり続かない日々だ。親のサポートがなかったら、とっくにホームレスだ。というかこれからなる可能性だって大いにある。病気と付き合うのが最近ようやく上手くなってきて、将来のことは見えない・想像できないというのが本音だ。体はどんどん弱くなり、出来ることが少なくなっている自分に恐怖を覚える。やっぱり大学を続けて薬剤師になってた方が、人生お得だったヤッテモータと思う時もあるが、あの時の健康状態で卒業できたかと言われれば、多分できなかったとも思う。これから凄く後悔するのかもしれないが、それは人生進んでみないと分からない。

 

高校の頃から長々と書いたが、私は親に、社会に、全てに反発し続けたと思う。自分の気持ちを押し通したくて、周りに合わせるということを一切してこなかった。あんなに社会に合わせたくないと自分を押し通して反発し続けたのに、今や「病気に合わせる」という生活をしている。なんだか滑稽だ。ほんとに滑稽だ。でも何かに少し合わせるということは、案外生きる一つの手段だと思うし、どんなに自由に生きてても、どこかで何かに合わせる・寄り添うことは出てくるんだと、周りを見ていて思う。

今、自由に自分の気持ちに素直に生きたいと思ってる人に言えることは、案外何かに反発するのはエネルギーが消費するということです。若いから大丈夫、自分の夢のためだから前向きに頑張れると思っていても、結構疲れているかもよ、と言いたい。一気に進もうとすると
事故ることがあります。事故っても自分を責めないように。上手く手抜きできる人の方が、長続きします。大人になれば、頑張ることが当たり前だとされるし、そんな大人は沢山いますが、上手く休める大人になって下さい。そっちの方が断然クールです。ダラダラヘラヘラ続けれる人の方が、人生楽しそうだし、ある日たくさんの人を追い抜いてるかもしれません。

 

説教めいたことを書きましたしこんなウンコみたいな私の言葉など何一つ響かないと思いますが、少なくとも私は、これを言い聞かせて人生を進んでいこうと思います。今回、親を悪者みたいに書きましたが、病気になってから今現在も暖かく見守ってくれている両親に感謝の気持ちを示して筆を置きます。あと薬剤師の皆さん、馬鹿にしてごめんなさい。仕事に優劣などありませんよね。ホント。